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鏡餅(かがみもち)~神霊がやどる依代(よりしろ)

date2004年7月20日

鏡餅は、お正月の縁起物として各家庭にも飾られます。
鏡餅に添えられる橙(だいだい)と昆布は子孫繁栄、
裏白(うらじろ)と串柿は長寿の祈りを込めたものといわれます。
2段重ねにするのは、福が重なるようににとの願いを
込めたものとも、奇数をさけたともいわれます。
 
鏡餅は、今では神へのお供え物ととらえられています。
しかし、本来は鏡餅そのものが、神様が降りられる依代
(よりしろ)
、ご神体でした。
現在でも正月にご神体として鏡餅を神殿にお祀りし
祈りを捧げる風習を残す地方があります。
鏡餅にお降りになる神は、年の初めにお祀りする
歳神(としがみ)であり、先祖神、あるいは
穀霊(穀物の神)とされます。
年初、この神に、幸福や豊作を祈願したのでした。
 
鏡餅のカガミは、三種の神器の神鏡を意味し、鏡餅が
丸いのはそのためといわれています。
また一説には、蛇目(カガメ)、つまり蛇を意味しているのでは
ないかといわれます。やや唐突な説のようですが、
古代においては、蛇への強い信仰が日本のみならず
世界にありました。こうした信仰の痕跡が、実は神道の儀式の
いたるところに残されており、鏡餅もその一つという説です。
鏡餅が二段重ねにされるのは、蛇がトグロを巻いた様を模したもの
ではないかとされます。
 
いずれにしても鏡餅は、古代から、日本人の原初的な
信仰心によって伝えられてきた風習なのです

神様の方向~北と東

date2004年7月20日

北の座は、神道では一番位の高い方位とされます。
地主神社ご本殿も北の座のもっとも貴い位置に祀られています。
参照ページ
なぜ北が宗教的に貴いとされるのか?
それは中国から伝わった北極星への信仰が起源といわれます。
 
夜空の星は東から西へと回っているのですが、
北極星だけは、まるで宇宙の中心であるかのように
動きません。このことから、古代の中国の人々は
北極星を全宇宙、すべての存在の根本、根源であるとして
信仰したのでした。
このような星の運行に基づいて未来を予測したり
占ったりすることは、当時は宗教というより
むしろ最先端の科学でした。このような中国の
進んだ思想を日本の政治や祭祀に取り入れ、
完成させたのが、天武天皇ともいわれます。
一方で、日本古来からの祭祀のあり方も残されました。
北に対し東を神の方位とするのが、日本古来の
信仰とされます。
お札は北側か、西側に祀るとされます。
東西は逆になっていますが、このような
作法にも中国からの思想と日本古来の
信仰が融合しているようです。
 
地主神社境内の「恋占いの石」は本殿前に
東西に向かい合ってあります。
参照ページ) 
この石への信仰は、日本古来のものです。
地主神社においても、当時最先端であった中国の思想と
日本古来の信仰が、交差し融合した痕跡があるのです。

産土神(ウブスナガミ)~氏神様とはちがう?

date2004年7月20日

産土神は、氏神(うじがみ)と今では混同されていますが、
本来は、別の意味があります。
 
かつてお産のために、わざわざ産小屋が作られました。
内部には砂をまき、その上に藁(ワラ)がひかれました。
ウブスナのスナとは、この砂を指すのではないかと
いわれます。
 
なぜ砂がまかれたかは、はっきりしません。
産小屋を海岸に造る地方もありました。
日本の古代の信仰では、海の彼方に、
神の国あるいは、黄泉の国があるとされていたため
命をそこから迎えるために、海の近くに造ったとも
考えられます。産小屋の砂は、そのような
海岸の砂の名残ではないかとも思われます。
 
産小屋の砂は、次第に土へと変化し、土地
そのものを表すようになります。
産土神は、その土地や地域の神、すなわち
地縁の神を意味するのです。
 
これに対し、氏神は元々は同族の神、
血縁の神を意味していました。
 
スナが海岸の砂であるとすれば、
人の遠い祖先が海の生物から進化し
そして陸上にあがった、そんな遺伝子
の記憶がこのような風習をつくり出したのかも
しれません。

太陽の神 天照大神(アマテラスオオミカミ)

date2004年7月20日

日本の神話では、太陽は天照大神であり、
その神は、女性です。
日本で女性を表す色は、赤系となっているも
太陽の色が赤く見え、太陽を女性ととらえる事に
由来するといわれます。
 
一方、太陽が男性神とされる国もあります。
中国北方の騎馬民族なども、そのような例で
この場合、赤は男性の色とされます。
赤が女性の色とされることは、世界でも
あまりないのです。
 
天照大神は、原初、太陽神に仕える巫女であったいう説も
あります。
武の神とされる八幡神は、中国の王の
娘が、日の光に感受して身ごもり、生まれた
とされています。類似の神話が日本の各地にあります。
ここに登場するような娘が、太陽神の妻であり、それはつまり
太陽神に仕える巫女であり、天照大神の根源とみられるのです。
神話が、政治的な意図で編纂される中、天照大神が太陽神と
されるようになったのではないかといわれます。
 
赤を女性の色とするのは、日本の文化に特徴的に
見られるものです。幼い女の子が、赤系の色を好むのも
歴史的宗教的背景があるのです。

荒ぶる神~鬼

date2004年7月20日

日本の神話に登場する神々は、
決して心の優しい神ばかりではありません。
人々に災いを与えたり、祟ったりする神も
おられます。「」もそういう神として、恐れられています。
 
しかしながら、伝説に語られる鬼の源流をたどると、
鬼とされているのは、だいたい、その土地の土着の人々、
先住の人々なのです。
 
鬼伝説は、そういう土地の人々が、中央の政権によって
征服される物語といえます。一昔前のアメリカ映画では
先住民族であるネイティブアメリカン(インディアン)が
悪であり、征服する白人の側が、善として描かれることがありました。
鬼伝説もまさに、そのような征服する側からの物語であり、視点を
かえれば、征服された人々の悲劇の物語ともいえます。
 
また、一説には鬼の原型は鉱山で働いていたタタラ師
ではないかともいわれます。過酷な環境での労働で
体はたくましく、また高温の熱で、顔は非常に険しかった
ところからでしょう。
 
京都府北部丹波地方の大江山の鬼伝説が特に有名なのは
この地に古くから銅山があったことが、一つの理由かもしれません。
3つの鬼伝説が残されていますが、やはり酒呑童子がもっとも有名でしょう。
同じく丹波の古刹、兵庫県市島町の清薗寺に伝わる縁起絵巻に鬼伝説が
描かれています。こちらのお寺のホームページでは、この鬼伝説の
アニメ版を見ることができます。見応えがあるページですので
是非一度ご覧になってください。
http://www2.odn.ne.jp/~cdw41280/seionji/kamishibai.html

神様がお越しになる杜(もり)~神社の原型

date2004年7月20日

神社はうっそうとした森の中にある、というイメージが
あるかと思います。
古代から、巨木に神がお降りになると、
考えられていました。
神様へ儀式は、そうした巨木数本に囲まれた
空間で行われました。
深い森の中でもなかったのです。
神社のもりというとき、という漢字を使うのは、
そのためです。
 
神道は、山、巨石、巨木など、自然を神と
仰ぐため、もともと、社殿などの建物は
必要なく、実際ありませんでした。
お祭りなどは、杜の中で、前回お話した
神籬をたて、臨時の小屋のようなものを
建てて行われました。
そして、祭りが終わると建物は、すべて
壊され、取り払われました。
この建物が、そのまま残されるように
なったのが、神社の社殿の原型と
されています。
 
8月のお盆になるとご先祖の霊が家に戻られる・・・
というような信仰は、仏教にはありませんでした。
先祖崇拝と仏教は、もともと関係なかったのです。
古代において、遠いご先祖は、村や家を守る神として崇められ
正月や夏の祭りの時、上述のようにお越しいただいたのでした。
神道は、現在でも日本人の宗教観や死生観に、根強く影響を
与えているのです。

神様がお降りになる神籬(ひもろぎ)

date2004年7月20日

神様が天からお降りいただくために
祭壇におまつりする木を神籬(ひもろぎ)といいます。
地鎮祭などで祭壇の中央に
祭られているあの木のことです。
 
古来から巨木などに神がお降りになる
と考えられていました。
やはり天に近いというイメージからでしょうか。
 
各地のお祭りで、よくある山車(だし)や
祇園祭の鉾や山の原型は、
ひもろぎであるといわれます。
ありがたい神様にお降りいただくため
ひもろぎをどんどん高く、そして豪華にしたのです。
結果、原型を全く想像もできない形になりました。
 
やや形式的になっている
神社の祭りですが、その儀式は
やはり古くから伝わる、人々の信仰心
の発露であるのです。

お祓いと禊ぎ~神道の一番大切な儀式

date2004年7月20日

禊ぎ(みそぎ)」というと、今や政治の用語のようですが、
もちろん、神道の用語です。
 
「禊ぎ」は、川や海などで体を洗い清め、神様に近づくために、
清浄な体になることをいいます。
これによく似た言葉に「祓い」があります。
お祓い」は自分自身の心の不浄を清め、災害や悪疫が身に降り
かからないようにと神様に祈願する神事をいいます。
このように本来、この2つの言葉は違った意味なのですが、
両方の意味を含めて「祓い」ということが多いようです。
 
「罪穢れ(つみけがれ)を祓う」は、神道では、決まり文句の様な
言葉ですので、お聞きになったことがあるかもしれません。
この罪は、「自分自身が犯す罪」が本来の意味ですが、
仏教の薬師信仰などとも習合し(結びつき)、風水害や、病なども
含んで解釈されるようになりました。
 
民衆の間で行われていた、この祓いの神事が、国家の行事としても
行われるようにもなりました。
6月に行われる祓いの行事を「夏越(なご)しの祓い」として
宮中から、一般の神社でも行われるようになったのです。
 
「祓い」や「禊ぎ」は、日本の美しい自然や清流と、
それによって培われた、日本人の持つ清浄観を根源とした神事とも
いえるのではないでしょうか。

端午の節句~節目のお祓い式

date2004年7月20日

端午の節句もまた、ひな祭りなど古くからの風習と同様の歴史を持つ
行事です。
 
約1千年前の平安時代、日本に伝わり、宮中において災難除けの重要な
お祓いの儀式として季節の節目に行われたものです。
菖蒲が使われるのは、中国でこの日に薬草を食したり、玄関に飾るなど
して厄除け、健康を願う祭りがあり、この影響を受けています。
さらに粽(ちまき)も端午の節句の元とされる中国の故事からのもの
です。
 
鎌倉時代「菖蒲」が「勝負」にかけられ、武士の行事となり、宮中での
行事は衰えました。
江戸時代武士の間で、長子誕生の祝いの行事としても盛んに行われ、
幕府の行事ともなりました。
兜を飾ったり、鯉のぼりをあげる風習もこの頃のものです。
これらが庶民にも伝わり、現在のように広く行われるようになりました。
 
地主神社の例大祭地主祭りでも氏子の子弟による武者行列がでます。
京都の多くの神社でも、武者行列がでるのは、この風習の影響をうけた
ものでしょう。
 
端午の節句も、中国の影響、神道、宮中行事、武士や庶民の風習など
様々な文化が積み重なって今に伝わっているのです。

花見~桜と神道

date2004年7月20日

4月になるとの花が咲き、各地で花見の行事が行われます。
この桜と日本人の関わりは、非常に深いものがあります。
 
古くは、花といえば桜を指した事もありました。
梅が中国から輸入されたのに対し、桜は日本原産とされます。
 
地主神社の神紋は地主桜で、さくら祭りも催行します。
神道と桜の関わりもまた深いのです。
桜の木が花をつけるのは神がお降りなった験(しるし)と
考えられていました。
 
農耕の盛んな時代には、桜には穀霊が宿るとされていたようです。
また、火であぶった鹿の骨の割れ方で国の吉兆を占った時代には、
骨の代わりにある種の桜の木を使ったという説もあります。
 
古代、田植えはその年の生活を支える非常に重要な作業でした。
その季節に咲く桜に、日本人は神を感じ、豊作への祈りを捧げた
のでしょう。
 
花見の宴を盛んに催す習慣は、日本人だけのものといわれます。
花見が神道儀式の名残の一つと考えれば、そのわけも理解できる
のではないでしょうか。

京都地主神社
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