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七夕特集

白うさぎの星空講座

第四講座 人はなぜ、星を見るようになったの?人と星座の歴史を学ぼう。さて、今回からは星座の歴史について学んでみよう☆星の配置から、それらを結んで動物や人などに見立てたものを「星座」というよね。まだ星座が存在していなかった古代、人々は満天に輝く星空を、夜ごとどんな風にながめていたんだろう?

古代日本と星座

古代の日本の「天文学」は、中国から伝来したものです。
古くから中国や朝鮮半島の古墳の天井には星図が描かれていました。古墳(お墓)に星図を描くことで一つの宇宙に見立て、死後もそこで暮らせるように、との思いがあったと言われています。
同じように、奈良県明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳の石室の壁や天井にも星座が描かれているのが発見されています。

神話と占い

日本の神話には、世界の神話にくらべて星の神さまはあまり出てきません。しかし、平安時代に大流行した陰陽道宿曜道(すくようどう)をはじめ、方角やできごとの吉兆などを占う星占いはたいへん人気がありました。

飛鳥時代から天文観測をしていた

日本には古くから夜空のできごとを記した天文現象の記録がたくさん残されています。飛鳥時代(592年~710年)には陰陽寮(おんみょうりょう)という政府の機関があり、そこでは中国にならって星を観測していました。これは占いを中心とした天文観測で、占星台も作られ、日食、星食、すい星などの現象が記録されました。鎌倉幕府(1192~1333年)の史書「吾妻鏡(あずまのかがみ)」には、1222年に現れたハレーすい星の記録や、月に惑星がかくされたり、惑星同士が接近したりという天文現象が80近くも書かれています。また、「続日本紀」(797年)などに出てくる星の話は、すべて夜空の観察記録で、記録はかなり正確なものでした。

江戸時代から近代へ

江戸時代になると、それまでの天文学に加えてヨーロッパの天文学が入ってきました。さまざまな観測機器や望遠鏡、天球儀なども作られるようになり、それ以前の古い暦も新しく書きかえられました。
明治維新以降は、西洋の天文学が本格的に日本にもたらされ、政府としても本腰をあげて天文学研究に取り組み始めます。

東京大学設立後は、理学部星学科が設置され、翌年には天文台として星学科観象台が作られるなどして多くの学生が星について学ぶようになり、日本の天文学研究における大きな礎となりました。

七夕こけし 七夕祭
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