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| 参拝時間 午前9時〜午後5時 |
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建都1100年奉祝奉納絵馬 地主神社境内盛挙の図(一部)
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社伝によれば、地主神社の創建年代は、神代(かみよ)つまり日本の建国以前とされ、
あまりの古さにその歴史は明らかではありませんでした。 しかし近年、アメリカの原子物理学者・ボースト博士の研究により、
本殿前の「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが証明されました。
また地主神社の鎮座する辺りは、古来「名勝蓬莱山(宝来山)」と呼ばれ、
不老長寿の霊山として信仰を集めてきました。 京都盆地が湖であった古代から、この蓬莱山は陸地であり、信仰の場となっていたのです。 |
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811年(弘仁2年)、嵯峨天皇が行幸。地主桜の美しさに三度車を返され、
「御車返しの桜」の由来となりました。970年(天禄元年)、円融天皇が行幸。
臨時祭を仰せつかりました。1082年(永保2年)には白河天皇が行幸、17日間参籠(さんろう:神社で昼夜にこもっての祈願
)されました。 これら歴代天皇の行幸も、地主神社の歴史とご神威の貴さを物語っています。
1886年(明治19年)、建都1100年を奉祝して当神社に奉納された絵馬には、 当時の風俗と共に、良縁祈願に訪れる娘さん達の様子が生き生きと描かれています。
身分・性別を問わず、広範な人々から信仰を集めていたのが、地主神社の信仰の特色と言えるでしょう。
現代に入り、地主神社のご利益は、 日本はもとよりヨーロッパ・アメリカ・アジア・オーストラリア・アフリカと
全世界に広がっています。全世界の人々が地主神社のご利益をお受けになり、 世界の発展・幸福・平和を心よりお祈りいたします。 |
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| 嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇、有栖川宮幟仁親王、有栖川熾仁親王 |
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坂上田村麻呂、平清盛、平宗盛、梶原影時、豊臣秀吉、徳川家光、東福門院
出雲阿国(歌舞伎奉納)、宗祇(地主連歌奉納)、茂山千五郎(狂言奉納)
北村季吟(芭蕉の師、俳人)、宝井其角(俳人) |
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| 地主神社の創建年代は神代(かみよ:日本の建国以前)とされ、近年の研究により「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが確認された。また、周囲が湖であった時代にも、地主神社の境内地は島となっており、不老長寿の霊山「蓬莱山(宝来山)」
あるいは、「蓬莱の島」として信仰をあつめていた。地主神社の東隣下の崖には今も 「船着き場」の跡が残っている。 |
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| 嵯峨天皇、円融天皇、白河天皇と歴代天皇が行幸、皇室との関係が深まった。また970年には臨時祭・地主祭りを仰せつかった。 |
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地主神社本殿建造。法隆寺と同じ双堂建築で、日本最古の神社建築様式である。 |
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坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命され、田村麻呂大刀一振りを地主神社に奉納。 |
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4月、嵯峨天皇行幸。(御車返しの桜の故事となる) |
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3月9日、円融天皇行幸。臨時祭を仰せつかる。これより後、永式として例祭を毎年4月9日に行う。 |
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白河天皇行幸。地主神社にて17日間参籠(さんろう:神社に昼夜にこもっての祈願)された。 |
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後白河上皇篇『梁塵秘抄』に地主神社の記述あり。 |
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| 『梁塵秘抄』(歌謡・後白河上皇篇) |
清水に 天露別の おはすれば むべこそ神は 天降るらめ
(清水山に天孫降臨に従った天露別の神[地主神社の神の意]が
いらっしゃるので、どうりで神が天降りなさることだ) |
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| 『玉葉集』(1100年) |
ちかひきて 天の岩戸をあけしより かたきねがひを かなふべしとは
(地主神社の神様のご利益、ご神徳の貴さを称えた歌) |
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| 謡曲『田村』『熊野』をはじめ、『梁塵秘抄』『閑吟集』など、有名文学にたびたび登場。「地主権現」の名が、ご利益ある神様として全国に知られた。 |
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運慶、狛犬一対奉納。梶原景清が参拝。 |
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宗祇、地主連歌を興行。名桜・地主桜が『閑吟集』に詠まれる。また、謡曲『田村』(世阿弥作)・『熊野』でも地主桜が謡われた。 |
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| 『閑吟集』(1518年) |
地主の桜は 散るか散らぬか 見たか水汲
散るやら 散らぬやら 嵐こそ知れ
おもしろ花の 都や筆でかくもとも及ばじ東に祇園
清水落ちくる 滝の音羽の嵐に地主の桜は散り散り…… |
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| 『田村』(世阿弥作) |
それ花の名所多しといえども 大悲の光色添うゆえか
この寺の地主の桜にしくはなし
あらあら面白の地主の花の気色やな 桜の木の間に洩る月の
雪もふる夜嵐の 誘ふ花とつれて散るや 心なるらむ |
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| 『熊野』(作者不詳) |
清水寺の鐘の音 祇園精舎をあらはし 諸行無常の声やらむ
地主権現の花の色 沙羅双樹の理なり |
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| 地主連歌(宗祇) |
| 室町時代から江戸時代にかけて、連歌師より月の晦日に盛んに興行されました。 |
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| 古文書によると、「恋占いの石」に興じる老若男女で境内が一日中にぎわったと、当時の反映の様子が記されている。また、地主神社祈り杉での「丑の刻参り」が大流行した。 |
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3月、豊臣秀吉が地主神社にて花見の宴を催す。 |
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出雲の阿国、歌舞伎を奉納。 |
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徳川家光が御社殿を再建。 |
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北村季吟・室井其角、地主の桜の俳句を奉納。 |
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後桃園天皇崩御につき、地主祭が5月8日となる。 |
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古文書によると、地主神社乙羽竜神の加護により、さる商人が無事に唐土より帰国できた。厄除子孫繁栄の守り神としてますます信仰を集めたとある。 |
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有栖川幟仁親王(神導教職総裁)地主神社へ「地主権現」御神号御筆奉納。 |
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| 茶屋おどり |
| 赤まえだれの茶屋の娘が、舞や野立などを奉納した。奉祝遷都1100年奉納絵馬から推察。 |
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| 俳句 |
芭蕉の師・北村季吟、蕉門の十哲のひとりである室井其角などが、地主神社を題材としています。
地主からは 木の間の花の 都かな 季吟
京中へ 地主の桜や 飛胡蝶 其角
宗盛も 車にみゆれ 地主祭り 紫暁
影清は 地主祭にも 七兵衛 太祇
押しあふて 車やどりや 地主祭り 瓜流 |
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| 神仏分離令により、神社本来の地位が認められ、毎年米二石が助成された。 |
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有栖川熾仁親王筆「地主権現」御神号を御寄付。政府より「明神号」下符。 |
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神幸祭を4月7日を5月8日に改める。 |
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12月12日昇格報告祭。社詞・中川義郎。 |
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6月4日、内務大臣・板垣退助へ由緒下付金を申請。 |
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| 縁結びの神としてご神徳が全国に広がり、新聞・テレビ・雑誌にたびたび取り上げられた。1975年(昭和50年)に、昭和の大修理。御本殿の極彩色が見事に甦った。また、1983年(昭和58年)12月古都税紛争により参道が閉ざされたが、清水2丁目に臨時御座所を設け、参拝の機会を確保。例年通りの初詣で参拝者で賑わった。 |
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