令和4年6月 「梅雨」「あじさい」「五月雨」「五月晴れ」
梅雨空にあじさいが映える季節となりました。
あじさいは土が酸性だと青色に、アルカリ性だと紅色になるそうです。そんな花色の変化は、日本最古の歌集である『万葉集』でも注目されました。
言(こと)問(と)はぬ木すら紫陽花(あぢさゐ)諸弟(もろと)らが練(ねり)の村戸(むらと)にあざむかれけり(万葉集)
(言葉を話さないあじさいが花色を変えるように、練達の士の巧みな変わりようにだまされてしまったよ)
雨の中で身を寄せ合うように咲くあじさいの姿に寄せて、大切な人が末長く栄えるように願う歌も詠まれています。
あぢさゐの八重咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつしのはむ(万葉集)
(「あじさいが八重に咲くようにいつまでもお元気でいてください」と、あなたを見て称えましょう)
旧暦では梅雨の季節は5月に当たることから、昔はこの季節にしとしと降る長雨を「五月雨(さみだれ)」といいました。
江戸時代の俳人である松尾芭蕉は、『奥の細道』で五月雨の俳句も詠んでいます。
五月雨の降りのこしてや光堂(ひかりだう)(奥の細道)
(長く降り続く雨もここだけは降り残したのだろうか、時を経た今もその名前のように光り輝いている光堂よ)
地主神社は、このたび修復工事のためまもなく閉門となりますが、
縁結びのご祈願をはじめ、
健康や厄除けを願うお守りなどの授与は、ひきつづき郵送にてお受け付けしてまいります。
梅雨の晴れ間を「五月晴れ」といいます。どうぞ晴れの日も雨の日も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。
令和4年5月 「新緑」「初鰹」「飛脚」「端午」「登竜門」
新緑がまぶしい季節となりました。5月5日は立夏。暦の上ではもう夏です。
この季節になると思い出されるのが、初夏のとりあわせを詠んだ江戸時代の俳句です。
目には青葉山時鳥(やまほととぎす)初鰹(はつがつお)(山口素堂)
南方から黒潮にのって北上する鰹を「初鰹」といい、これをいち早く食するのが江戸っ子の粋でした。
鎌倉を生きて出(い)でけむ初鰹(松尾芭蕉)
(鎌倉で捕らえられたのに生きて江戸へ出てきたのだなあ、この初鰹は)
トラックなどがなかった昔は、鎌倉で水揚げした鰹は飛脚が駆け足で江戸へと運び込みました。京都と江戸をむすぶ東海道を3、4日ほどで駆け抜けるスピードだったそうです。
東海道では駅ごとに駅馬(えきば)という馬も待機していました。
「うま」といえば5月5日の「子どもの日」を「端午の節句」といいますが、この「端午」の「端」は「端緒」の「端」、「午」は「うま」で「五月最初の午(うま)の日」という意味です。中国では「午(ご)」は「五(ご)」に通じ、5月5日はおめでたい数字とされる5が二つ重なる吉日とされました。
節(せち)は、五月にしく月はなし。(枕草子)
(節句は、5月に及ぶ月はない)
子どもの成長を願う鯉のぼりは、「登竜門」の故事にあやかったものです。「竜門」は中国の黄河にある急流で、ここを登りきった鯉は竜になると伝えられました。
登龍門の吉兆を得たる(鶉衣)
(登竜門をのぼって良い兆しを得た)
5月以降の地主神社の門は修復工事のため閉門いたしますが、
縁結びのご祈願をはじめ、
健康や厄除けを願うお守りなどの授与については引き続き郵送にてお受け付けしてまいります。
「ご縁」の門は、いつでも皆様の前に開かれています。どうぞこの夏も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。
令和4年4月 「コノハナノサクヤビメ」「桜」「花見」「地主桜」「熊野」
今年も桜の季節となりました。花を見上げて新生活のスタートに胸を膨らませる方も多いことでしょう。
地主神社でお祀りしている縁結びの神さまであられる大国主命(おおくにぬしのみこと)さまの親戚にあたる木花之佐久夜比売(このはなのさくやびめ)という神さまは桜の神さまで、「サクラ」の語源はコノハナノサクヤビメの「サクヤ」とする説もあります。
木花之佐久夜比売を使はば、木の花の栄ゆるが如く栄えまさむ(古事記)
(コノハナサクヤビメをお迎えになれば、木に花が咲くようにお栄えになることでしょう)
桜は神さまの宿る神聖な樹木とされ、春の訪れを告げる桜の開花は秋の実りにむけて春の仕事を始める合図でもありました。
うちなびく春来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば(万葉集)
(春が来たようだ、山ぎわの遠くのこずえに次々と咲いていくのを見ると)
山に自生していた桜を宮中に植え、その花の下で詩歌を詠む宴を催したのが平安時代の嵯峨天皇です。これは記録に残る最初の「花見」とされています。
和風(わふう)しばしば重なりて百花開く(中略)
ここに文雄(ぶんゆう)を唱(よ)びて賞宴(しょうえん)にまねく(凌雲集)
(春風が吹くたび多くの花が開くので(中略)詩歌にすぐれた文人を呼んで花の宴に招く)
嵯峨天皇は地主神社にも行幸され、境内に咲く地主桜の美しさに感嘆されて何度も車を引き返しては繰り返し愛でられました。そのため地主桜は別名を「御車返しの桜」とも呼ばれます。
地主桜は一本の木に八重と一重の花が咲く珍しい桜で、その花の色は謡曲「熊野」でも讃えられています。
地主権現の花の色、沙羅双樹の理(ことわり)なり(謡曲「熊野」)
(地主権現の花の色は、沙羅双樹の花の色のように世の移ろいを映している)
長らく皆様にご参拝いただいてまいりました地主神社もこのたび修復工事に入ることとなり、5月以降に閉門を予定しておりますが、縁結びのご祈願をはじめ新生活の新たな出会いを願うお守りなどの授与については今月の4月もそれ以降も引き続き
郵送にてお受け付けしてまいります。
どうぞこの春も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。
令和4年3月 「ひな祭り」「桃の節句」「人形(ひとがた)祓い」「耳の日」
3月3日の「ひな祭り」は「桃の節句」とも呼ばれ、桃の花を飾ります。
その花の美しさは古くから人々の心をとらえ、『万葉集』にも詠われました。
春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出(い)でたつ少女(をとめ)(万葉集)
(春の園で紅色に咲く桃の花が下まで輝く道に立つ、美しい少女よ)
満開を迎えた後たわわに実る桃の実は、昔から邪気を祓う神聖な植物とされました。
『古事記』には桃の実を投げて難を逃れる場面も描かれています。
桃子(もものみ)を三箇(みつ)取りて待ち撃ちしかば、悉(ことごと)く坂を返りき(古事記)
(桃の実を三つ取って投げつけると[追っ手は]坂を逃げ帰っていった)
もともと3月3日は紙で作った人形に穢れ(けがれ)を移し、水に流してお祓いをする日でした。
『源氏物語』の光源氏も人形を船に乗せて海へ流し、お祓いをしています。
舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流す(源氏物語)
(船に大げさな人形を乗せて海に流す)
3月3日は「三三(みみ)」の語呂合わせから「耳の日」でもあります。
耳は昔から神さまのお声を受けとるものとして尊ばれました。
『万葉集』では、大切な人の耳に届けたい思いを言葉に表しきれないもどかしさも詠まれています。
言(こと)に言へば 耳にたやすし 少なくも 心の中(うち)に 我が思(おも)はなくに(万葉集)
(言葉にすると簡単に聞こえてしまう、心の中ではもっとたくさんのことを思っているのに)
卒業の季節でもある3月は、大切な人やお世話になった方に語り尽くせぬ思いを抱くかたもおられることでしょう。
地主神社では、3月も
縁結びのご祈願をはじめ、
新年度に向けて新たな出会いを願うお守りなどの授与を郵送にてお受け付けしてまいります。
新年度も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。
令和4年2月 「節分」「如月」「立春」「バレンタインデー」「飴」
早いもので今年も2月となりました。
2月3日は節分。節分はもともと「季節の分かれ目」という意味で、立春の前日に一年の無病息災を願う日でした。
昔は大きな声をあげて鬼を追い払ったことから、『源氏物語』では幼い子どもが大きな音の出し方を大人に聞いて回る姿も描かれています。
若宮の「儺(な)やらはんに、音高かるべきこと、何わざをせさせん」と、走り歩きたまふ(源氏物語)
(幼い皇子が「鬼を追い払うときはどうしたら大きな音が出せるの」と言って走り回っておられる)
追われた鬼が逃げだすように「二月は逃げる」といいますが、室町時代には2月のあわただしさを詠み合った連歌もあります。
年々(としどし)の春こそやがて昔なれ(文和千句第一百韻)
(年ごとに春はすぐ遠い昔になるものだ)
夜中(よなか)よなかの夢のきさらぎ(文和千句第一百韻)
(夜ごとに夢を重ねながら、まだ寒い二月に衣を重ねて着るように)
節分の翌日は立春、暦の上ではもう春です。2月14日のバレンタインデーは草木が芽吹き鳥が歌い始める春を祝うことから始まったといわれます。
バレンタインのチョコレートを手作りするかたもおられることでしょう。『日本書紀』には飴を手作りして神意を占う場面も描かれています。
われ今し八十平瓮(やそひらか)をもちて水無しに飴(たがね)を造らむ。
(私は今80枚の器を用いて水無しで飴を作ろう)
平安時代には片思いの胸の内をお菓子になぞらえた歌も詠まれました。
香泡(かくなわ)に 思ひ乱れて 降る雪の 消なば消ぬべく(古今和歌集)
(心は「かくなわ」というお菓子のように乱れて、降る雪のように消えてしまいたい)
「かくなわ」は紐を結んだような形にして油で揚げたお菓子といわれています。
地主神社では、2月も
縁結びのご祈願をはじめ、
両思いを願うお守りなどの授与を郵送にてお受け付けしてまいります。ご祈願やお守りをご希望される方は、ぜひお申し込みくださいませ。
この春も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。
令和4年1月 「元旦」「初日の出」「若水」「七草」「干支絵馬」
あけましておめでとうございます。
元旦は初日の出に手を合わせるという方もおられることでしょう。太陽の神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)といって、地主神社にお祀りしている大国主命(おおくにぬしのみこと)さまのお父上であられる素戔嗚尊(すさのおのみこと)の姉上にあたります。
光華(ひかり)迷彩(うるは)しく、六合(くに)の内に照り徹(とお)る。(日本書紀)
([天照大神は]光り輝いて美しく、天地四方をすみずみまで照らした)
太陽を見つめるとくしゃみが出ることがあるのは「光くしゃみ反射」という生理現象だそうですが、平安時代には元旦のくしゃみは縁起が良いとされていたようで、清少納言も『枕草子』で紹介しています。
したり顔なるもの 正月一日(ついたち)にさいそに鼻(はな)ひたる人(枕草子)
(得意顔なもの 正月一日に、最初にくしゃみをした人)
元旦に初めて汲む水は「若水(わかみず)」といい邪気を払うと信じられました。『栄花物語』には、お生まれになったばかりの若宮に若水を沸かしたお湯を使わせる場面も描かれています。
若水していつしか御湯殿(おゆどの)まゐる(栄花物語)
(若水でさっそく沐浴をしてさしあげる)
昔は新年に降る雪や雨も豊年のしるしとされ、おめでたいものでした。
新(あらた)しき年の始めの初春(はつはる)の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)(万葉集)
(この新春に次々と舞い降りる雪のように、ますます良いことが重なっておくれ)
そして、1月7日は七草の日。今では七草粥をいただきますが、昔は芽吹いたばかりのみずみずしい若菜を摘んで贈る日でした。『源氏物語』では、孫から若菜を贈られた光源氏が長寿を願う和歌を詠んでいます。
小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき(源氏物語)
(小松原のように若い孫の齢(よわい)のように、私も長生きできるでしょう)
地主神社では、
本年も皆様の縁結び・開運招福のご祈願をはじめ、
お守りや新年の干支である「とら」の絵馬の授与を郵送にて承っております。ご希望の方は、ぜひお申し込みくださいませ。
本年も皆様に素晴らしいご縁が結ばれ、お健やかに一年をおすごしいただけますように。おしあわせに。