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宮司の言葉

地主神社は社殿修復⼯事のため、
閉⾨しています。
(工期約3年)

受け付けました「縁むすび特別祈願」は、
神官が毎⽇ご祈願しております。
郵送で受付中

宮司の言葉

日本で古くから信仰されてきた神さまは、太陽や山、森、木々など宇宙・世界・森羅万象に宿るとされ、八百万(やおよおよろず;非常に数が多いこと)の神ともいわれます。お米などの収穫を得るにも、日の光や雨が降ることでもたらされる水が必要なように、私たちは自然の恵み無しには、一日も生きていくことができません。科学がどんなに進歩し、社会や生活環境が激変しても、変わることのない真理といえるでしょう。古代の人々も日々の営みのなかで自然の大いなる力を感じ取り、自然への畏敬や信仰の念を持ったのです。農耕の技術や知識が発達していない古代においては、日々の糧を得るのも非常に困難であり、それだけに神様への切実な願い事は、豊作や豊漁であったことでしょう。さらには、人の命を後世へとつなぐ子孫繁栄は、いっそう大きな願いごとだったにちがいありません。日本で最も古くからお祀りされた神、原初の神々は、こうした願いをかなえる神であり、人や作物といった生命を産み出し、繁栄をもたらす神でした。また生命の誕生には2つのものを出会わせ結びつけることが必要です。そのため原初の神は、結びの神でもあったのです。

地主神社の神様は、日本でも非常に古くから祀られた古層の神、原初の神です。京都盆地は、大昔には湖に沈んでいた時代もありましたが、地主神社の境内地は、島のように陸地となっており、「蓬莱山」と呼ばれ不老長寿の霊山として信仰されていたと伝わっています。ご本殿前の「恋占いの石」も近年の研究で縄文時代の遺物とされています。こうした最古の歴史を持つ地主神社の神に古代の人々がささげた祈りは、やはり強いご霊力で命を産み出していただくこと、豊作や子孫の繁栄であったことでしょう。子孫繁栄には男女を巡り合わせ結びつけねばなりません。ですから原初の神である地主神社の神様は、縁をとりもつ結びの神、縁結びの神でもあったのです。

現代の皆様の願い事は、受験合格や商売繁盛、健康長寿など様々おありかと思います。しかしどんな願いごとよりも、まずはお一人お一人が命を授かること、この世に生をお受けになることが大前提ではないでしょうか?命を産み出し、命を授かるには、人と人との結びつきが不可欠であり、そう考えますと、どのお願いごとよりまず最初のお願いごとは、人と人との縁、つまりは出会いや絆であり、古代の人々と同様に「縁結び」ということになります。また男女の縁に限らず、私たちが幸福をえるには、日々良いご縁を授からねばなりません。仕事であれば、良い上司に巡りあうこと、良い取引相手に出会うこと。学生の方なら、良い先生や友人に恵まれること。是非ご縁や絆の大切さを心に刻んでいただき、古来より信仰の篤い地主神社の神様に縁結びの信心を深めていただきたいと思います。

近年、地主神社のご神徳は海外にも広がり、アジア・欧米を始め世界各地からご参拝をいただいています。日本古来の神様が海外でも理解され、ご信仰いただくことは、非常に意義深いことであり、喜ばしく思います。さらにこの信仰の輪が世界のすみずみまでおよび、世界中の人々がご縁を深め、強い絆で結ばれ、平和で愛に満ちた世の中となりますことを、心より願っています。

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令和4年のバックナンバー

令和4年12月「新年の干支 卯(う)」「干支絵馬」「因幡の白ウサギ」「二兎を追う」

 早いもので今年も残りわずかとなりました。
 地主神社ではこの一年のご利益に感謝し、来る年の開運招福を願って、12月4日より新年の干支である「うさぎ」のエト絵馬を郵送にて授与いたします。どうぞぜひお授かりくださいませ。

 地主神社で縁結びの神さまとしてお祀りしている大国主命(おおくにぬしのみこと)は、うさぎにゆかり深い神さまでもあられます。その昔、因幡(いなば)の国を旅しておられた大国主命は、傷を負って泣いているうさぎに出会い、治し方をお教えになりました。

  教への如く為(せ)しに、その身、本(もと)の如し。(古事記)
  (大国主命に教えられた通りにすると、うさぎの体は元通りになった)

 命を助けられたうさぎは、大国主命にすばらしいご縁を約束します。

  八上比売(やかみひめ)を(中略)汝(な)が命(みこと)、獲(え)む(古事記)
  (八上姫はあなた様と結ばれるでしょう)

 うさぎの予言どおり、聡明な八上姫は大国主命の優しい心をひと目で見抜き、大勢の求婚者をしりぞけて大国主命と結ばれました。こうして、大国主命は「縁結びの神さま」として信仰されるようになったのでした。
 地主神社のホームページ「因幡の白ウサギ」では、愛らしいうさぎの絵をまじえてこの物語を詳しく紹介しています。

 うさぎといえば「二兎を追う者は一兎をも得ず」ということわざも思い出されますが、これはもともと西洋のことわざで、明治時代に岩倉使節団の一員として米欧12カ国を歴訪した岩見鑑造(いわみかんぞう)が帰国後に飜訳して日本に紹介したものです。

  二兎を追ふものハ一兎をも得ず(西洋諺草)

 岩見自身は訳業のみならず実業家や狂歌師、茶人など多方面で活躍した才人でしたが、何かと年末は誰もが気ぜわしくなりがち。無理せず一つひとつのご縁を大切にしながら去りゆく寅年を「ありがとう」と見送り、心晴れやかに卯年を迎えたいものです。

 社殿修復工事のため閉門しております地主神社では、全国から郵送で寄せられるご祈願の一つひとつについて神官が毎日神さまに祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。また、お守りも郵送にて一つひとつお授けさせていただいております。

 どうぞおからだにお気をつけて、良いお年をお迎えくださいませ。来る年も素晴らしいご縁をお授かりいただきますように。おしあわせに。

令和4年10月「スポーツの日」「醸成月」「神無月」「新酒」「霜降」

 10月10日はスポーツの日。秋空の下で体を動かすのは気持ちのよいものです。

  常に歩(あり)き、常に働くは、養性(やうじゃう)なるべし(方丈記)
  (常に歩き、常に動くことは体に良いはずだ)

 運動のあとの一献を楽しみにしておられる方も多いことでしょう。
 10月は新米で新酒を「醸(か)み成(な)す月」であったことから、「醸成月(かんなづき)」と呼ばれるようになったともいわれます。

  歌ひつつ 醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも(古事記)
  (歌いながら造ったためか、踊りながら造ったためか[不思議に楽しいお酒です])

 「かんなづき」はもともと「神の月」という意味でしたが、いつからか「な」を「無」として「神無月」といわれるようになりました。

  十月を神無月と云ひて、神事にはばかるべきよしは、記したる物なし(徒然草)
  (十月を神無月といって神事を遠慮するべきだと書き記したものは無い)

 「神無月」といっても神さまがおられないわけではありません。神さまはいつでもどこでも私たちを見守ってくださっています。

  天地(あめつち)の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで(万葉集)
  (天と地の神さまも助けてください、旅をするあなたが家に着くまで)

 10月23日は霜降(そうこう)。やがて霜が降り、色づき始めた落葉が舞う季節です。

  十月(かみなづき)しぐれにあへる黄葉(もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに(万葉集)
  (十月のしぐれに打たれた紅葉が吹けば散るようにさすらい行くことだろう、風にまかせて)

 地主神社は社殿修復工事のため閉門しておりますが、全国から郵送で寄せられるご祈願につきましては、神官が毎日神さまに祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。ご祈願を希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。また、縁結びや健康を祈願するお守りの授与も郵送にて承っております。

 どうぞこの秋もおすこやかに、すばらしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。

令和4年11月「立冬」「百人一首」「紅葉」「勤労感謝の日」「新嘗祭」「朔風払葉」

 11月7日は立冬。暦の上ではもう冬です。

  山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば(百人一首/古今和歌集)
  (山里は冬こそ寂しさがいっそう感じられるものだ、人目も草も無いのだと思うと)

 朝晩は冷え込む日が増えてきますが、この寒暖差が大きいほど紅葉は深く色づくそうです。

  雁(かり)が音(ね)の寒き朝明(あさけ)の露ならし春日の山をもみたすものは(万葉集)
  (雁の声が寒そうに聞こえた夜明けの露だろう、春日山を紅葉に彩ったのは)

 紅葉の季節は収穫の季節でもあります。
 11月23日は勤労感謝の日。もともとこの日は「新嘗祭(にいなめさい)」といって、新米の収穫を神さまに感謝する日でした。

  天地(あめつち)と相栄(あいさか)えむと大宮を仕へまつれば貴(たふと)く嬉(うれ)しき(万葉集)
  (天と地とともにいつまでもお栄えになるようにと、新嘗の大宮にお仕えするのは、貴く嬉しいことです)

 そして、11月27日からは七十二候の「朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」。北風が木の葉を落とす季節です。

  木枯(こがらし)の(中略)散り敷きたる紅葉を(源氏物語)
  (木枯しが吹くので(中略)散り敷いている紅葉を)

 地主神社は社殿修復工事のため閉門しておりますが、全国から郵送で寄せられるご祈願につきましては、神官が毎日神さまに祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。また、お守りの授与も郵送にて受け付けております。どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。

 年末に向けて日一日と寒さが募ってまいりますが、どうそお健やかにお過ごしいただけますように。おしあわせに。

令和4年10月「スポーツの日」「醸成月」「神無月」「新酒」「霜降」

 10月10日はスポーツの日。秋空の下で体を動かすのは気持ちのよいものです。

  常に歩(あり)き、常に働くは、養性(やうじゃう)なるべし(方丈記)
  (常に歩き、常に動くことは体に良いはずだ)

 運動のあとの一献を楽しみにしておられる方も多いことでしょう。
 10月は新米で新酒を「醸(か)み成(な)す月」であったことから、「醸成月(かんなづき)」と呼ばれるようになったともいわれます。

  歌ひつつ 醸みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも(古事記)
  (歌いながら造ったためか、踊りながら造ったためか[不思議に楽しいお酒です])

 「かんなづき」はもともと「神の月」という意味でしたが、いつからか「な」を「無」として「神無月」といわれるようになりました。

  十月を神無月と云ひて、神事にはばかるべきよしは、記したる物なし(徒然草)
  (十月を神無月といって神事を遠慮するべきだと書き記したものは無い)

 「神無月」といっても神さまがおられないわけではありません。神さまはいつでもどこでも私たちを見守ってくださっています。

  天地(あめつち)の神も助けよ草枕旅行く君が家にいたるまで(万葉集)
  (天と地の神さまも助けてください、旅をするあなたが家に着くまで)

 10月23日は霜降(そうこう)。やがて霜が降り、色づき始めた落葉が舞う季節です。

  十月(かみなづき)しぐれにあへる黄葉(もみちば)の吹かば散りなむ風のまにまに(万葉集)
  (十月のしぐれに打たれた紅葉が吹けば散るようにさすらい行くことだろう、風にまかせて)

 地主神社は社殿修復工事のため閉門しておりますが、全国から郵送で寄せられるご祈願につきましては、神官が毎日神さまに祝詞(のりと)を奏上し、縁結びや開運招福を祈願しています。ご祈願を希望される方は、どうぞ郵送にてお申し込みくださいませ。また、縁結びや健康を祈願するお守りの授与も郵送にて承っております。

 どうぞこの秋もおすこやかに、すばらしいご縁をお授かりいただけますように。おしあわせに。

令和4年9月 「九九」「十五夜」「秋の七草」「秋分の日」

 9月9日は「九九」の日だそうです。1から9までの数字を掛け合わせた九九は古代中国から伝来し、九九が記された奈良時代の木簡も出土しています。
 日本最古の歌集である『万葉集』でも九九を取り入れた歌が詠まれました。

  見れども飽かず 三五月(もちづき)の(万葉集)
  (見飽きることのない望月のように)

 「三五月」と書いて「もちづき(望月)」と読ませるのは九九の「三五(3×5)」が「十五(=15)」であることから「十五夜の月」を表しています。

 十五夜に飾る秋の七草は、『万葉集』を代表する歌人の一人である山上憶良が「七種(ななくさ)の花」として詠んだのが始まりです。

  萩の花 尾花(をばな)葛花(くずはな)なでしこが花 をみなへし また藤袴(ふぢばかま)朝顔(あさがほ)が花(万葉集)
  (萩の花、尾花に葛の花、なでしこの花、おみなえし、そして藤袴、朝顔の花)

 「尾花」とはススキのことで、風にそよぐ穂を尾に見立てたことに由来します。
 鎌倉時代になると、随筆『徒然草』では秋の草として竜胆(りんどう)も挙げられるようになります。9月19日は敬老の日ですが、近年は敬老の日の贈り物として竜胆も人気だそうです。

  秋の草は荻・すすき・(中略)竜胆・菊。(徒然草)
  (秋の草は荻・ススキ(中略)竜胆・菊などが良い)

 やがて9月23日、秋分の日を過ぎると夜が少しずつ長くなり、秋らしさも深まっていきます。

  露ながら折りてかざさむ菊の花おいせぬ秋のひさしかるべく(古今和歌集)
  (露をつけたまま手折って髪に挿そう、菊の花を。長寿の秋が末長く続くように)

 地主神社は社殿修復工事により閉門しておりますが、引き続き郵送にて縁結びのご祈願お守りの授与を承っております。
 どうぞぜひ健康長寿を願う「健康守」や「長寿守」などをお授かりいただき、健やかな秋をお迎えいただけますように。おしあわせに。

令和4年8月 「山の日」「お盆」「蓬萊山」「ひぐらし」

 8月11日は山の日。夏空にそびえる山はすがすがしいものです。江戸時代の俳人である松尾芭蕉は、夏座敷から山を望む句も詠んでいます。

 山も庭に動きいるゝや夏座敷(芭蕉)
 (山も動いて庭に入ってくるようだ、この夏座敷にいると)

 お盆には古里の山を懐かしむ方も多いことでしょう。『万葉集』には、懐かしい都の山をいつまでも眺めていたいという歌も収められています。

  つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を(万葉集)
  (しみじみ眺めながら行きたいのに、たびたび遠くから眺めたい山なのに)

 昔は、高くけわしい山は修行の場とされ、はるかな海の彼方には不老不死の仙人が住む蓬莱山(ほうらいさん)という山があると信じられました。

  海の上にただよへるやま、いと大きにてあり。その山のさま、高くうるはし(竹取物語)
  (海上に漂う山はとても大きい。その姿は高く美しい)

 地主神社の境内地も古くから「蓬莱山」と呼ばれ、不老長寿の霊山として信仰を集めていたと伝えられてきました。

 8月23日は処暑。「処」は「止まる」という意味で、暑さも一段落するとされる頃です。

  鳴く蝉の声も涼しき夕暮れに秋をかけたる森の下露(新古今和歌集)
  (蝉の鳴き声も涼しく聞こえる夕暮れに、秋を感じさせるような森の下露よ)

 夏の終わりにカナカナ…と鳴くヒグラシは古くから親しまれた蝉で、日本最古の歌集である『万葉集』にも登場します。

  夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ吾(あ)が来る妹(いも)が目を欲(ほ)り(万葉集)
  (夕方になるとひぐらしが来て鳴いている生駒山を越えて私はやってきたよ、いとしい妻に会いたくて)

 どんなに時代が変わっても、互いに結ばれあうのが心の絆です。

 まもなく地主神社は修復工事により閉門しますが、郵送にて縁結びのご祈願お守りの授与などをお受け付けしてまいります。
夏から秋へ、移ろう季節の中でどうぞ皆様お健やかに、素晴らしいご縁が訪れますように。おしあわせに。

令和4年7月 「七夕」「門」「鳥居」「大暑」「土用の丑の日」

 7月7日は七夕。
 日本最古の歌集である『万葉集』では織姫が天の川の「川門(かわと)」に立ち、彦星を待つ歌も詠まれています。

  天の川川門(かはと)に立ちて我が恋ひし君来ますなり紐(ひも)解(と)き待たむ(万葉集)
  (天の川の川門に立って私が恋していた君が来られるようだ、紐を解いて待とう)

 「川門」の「門」は「出入り口」という意味で、川を渡ってきた舟が最初に訪れる場所でした。

 「門」といえば神社の門である「鳥居」は「鳥が居やすい」という意味で、もともと神さまにお供えした鳥が止まる所であったともいわれます。
 日本最古の歴史書である『古事記』には天の岩戸の前に鳥が集まる場面も描かれています。

  常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を聚(あつ)め、互(たがひ)に長鳴(ながなき)せしめ(古事記)
  (常世の長鳴鳥を集めて互いに長鳴きをさせて)

 この鳥の声を聞いて岩戸からお出ましになったのが、天照大神という神さまです。この神さまは地主神社の主祭神であられる大国主命のお父上のお姉さまにあたります。

 地主神社はまもなく修復工事のため閉門いたしますが、神さまはこれまでもこれからも皆様のご縁を見守りつづけておられます。

 7月23日は大暑、そして「土用の丑の日」です。昔からこの時期の鰻は滋養があるとされ、『万葉集』にも夏やせした人に鰻をすすめる歌があります。

  石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻(うなぎ)捕り喫(め)せ(万葉集)
  (石麻呂さんに申し上げます、夏やせによいといううなぎを食べてください)

 地主神社は閉門後も郵送にて、縁結びのご祈願をはじめ健康や厄除けを願うお守りの授与などをお受け付けしてまいります。どうぞこの夏はお健やかに、より良きご縁が訪れますように。おしあわせに。

令和4年6月 「梅雨」「あじさい」「五月雨」「五月晴れ」

 梅雨空にあじさいが映える季節となりました。

 あじさいは土が酸性だと青色に、アルカリ性だと紅色になるそうです。そんな花色の変化は、日本最古の歌集である『万葉集』でも注目されました。

  言(こと)問(と)はぬ木すら紫陽花(あぢさゐ)諸弟(もろと)らが練(ねり)の村戸(むらと)にあざむかれけり(万葉集)
  (言葉を話さないあじさいが花色を変えるように、練達の士の巧みな変わりようにだまされてしまったよ)

 雨の中で身を寄せ合うように咲くあじさいの姿に寄せて、大切な人が末長く栄えるように願う歌も詠まれています。

  あぢさゐの八重咲くごとく八(や)つ代(よ)にをいませ我が背子(せこ)見つつしのはむ(万葉集)
  (「あじさいが八重に咲くようにいつまでもお元気でいてください」と、あなたを見て称えましょう)

 旧暦では梅雨の季節は5月に当たることから、昔はこの季節にしとしと降る長雨を「五月雨(さみだれ)」といいました。
 江戸時代の俳人である松尾芭蕉は、『奥の細道』で五月雨の俳句も詠んでいます。

  五月雨の降りのこしてや光堂(ひかりだう)(奥の細道)
  (長く降り続く雨もここだけは降り残したのだろうか、時を経た今もその名前のように光り輝いている光堂よ)

地主神社は、このたび修復工事のためまもなく閉門となりますが、縁結びのご祈願をはじめ、健康や厄除けを願うお守りなどの授与は、ひきつづき郵送にてお受け付けしてまいります。

 梅雨の晴れ間を「五月晴れ」といいます。どうぞ晴れの日も雨の日も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。

令和4年5月 「新緑」「初鰹」「飛脚」「端午」「登竜門」

 新緑がまぶしい季節となりました。5月5日は立夏。暦の上ではもう夏です。
 この季節になると思い出されるのが、初夏のとりあわせを詠んだ江戸時代の俳句です。

  目には青葉山時鳥(やまほととぎす)初鰹(はつがつお)(山口素堂)

 南方から黒潮にのって北上する鰹を「初鰹」といい、これをいち早く食するのが江戸っ子の粋でした。

  鎌倉を生きて出(い)でけむ初鰹(松尾芭蕉)
  (鎌倉で捕らえられたのに生きて江戸へ出てきたのだなあ、この初鰹は)

 トラックなどがなかった昔は、鎌倉で水揚げした鰹は飛脚が駆け足で江戸へと運び込みました。京都と江戸をむすぶ東海道を3、4日ほどで駆け抜けるスピードだったそうです。

 東海道では駅ごとに駅馬(えきば)という馬も待機していました。
 「うま」といえば5月5日の「子どもの日」を「端午の節句」といいますが、この「端午」の「端」は「端緒」の「端」、「午」は「うま」で「五月最初の午(うま)の日」という意味です。中国では「午(ご)」は「五(ご)」に通じ、5月5日はおめでたい数字とされる5が二つ重なる吉日とされました。

  節(せち)は、五月にしく月はなし。(枕草子)
  (節句は、5月に及ぶ月はない)

 子どもの成長を願う鯉のぼりは、「登竜門」の故事にあやかったものです。「竜門」は中国の黄河にある急流で、ここを登りきった鯉は竜になると伝えられました。

  登龍門の吉兆を得たる(鶉衣)
  (登竜門をのぼって良い兆しを得た)

 5月以降の地主神社の門は修復工事のため閉門いたしますが、縁結びのご祈願をはじめ、健康や厄除けを願うお守りなどの授与については引き続き郵送にてお受け付けしてまいります。

 「ご縁」の門は、いつでも皆様の前に開かれています。どうぞこの夏も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。

令和4年4月 「コノハナノサクヤビメ」「桜」「花見」「地主桜」「熊野」

 今年も桜の季節となりました。花を見上げて新生活のスタートに胸を膨らませる方も多いことでしょう。

 地主神社でお祀りしている縁結びの神さまであられる大国主命(おおくにぬしのみこと)さまの親戚にあたる木花之佐久夜比売(このはなのさくやびめ)という神さまは桜の神さまで、「サクラ」の語源はコノハナノサクヤビメの「サクヤ」とする説もあります。

  木花之佐久夜比売を使はば、木の花の栄ゆるが如く栄えまさむ(古事記)
  (コノハナサクヤビメをお迎えになれば、木に花が咲くようにお栄えになることでしょう)

 桜は神さまの宿る神聖な樹木とされ、春の訪れを告げる桜の開花は秋の実りにむけて春の仕事を始める合図でもありました。

  うちなびく春来(きた)るらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲き行く見れば(万葉集)
   (春が来たようだ、山ぎわの遠くのこずえに次々と咲いていくのを見ると)

 山に自生していた桜を宮中に植え、その花の下で詩歌を詠む宴を催したのが平安時代の嵯峨天皇です。これは記録に残る最初の「花見」とされています。

  和風(わふう)しばしば重なりて百花開く(中略)
  ここに文雄(ぶんゆう)を唱(よ)びて賞宴(しょうえん)にまねく(凌雲集)
(春風が吹くたび多くの花が開くので(中略)詩歌にすぐれた文人を呼んで花の宴に招く)

 嵯峨天皇は地主神社にも行幸され、境内に咲く地主桜の美しさに感嘆されて何度も車を引き返しては繰り返し愛でられました。そのため地主桜は別名を「御車返しの桜」とも呼ばれます。

 地主桜は一本の木に八重と一重の花が咲く珍しい桜で、その花の色は謡曲「熊野」でも讃えられています。

  地主権現の花の色、沙羅双樹の理(ことわり)なり(謡曲「熊野」)
  (地主権現の花の色は、沙羅双樹の花の色のように世の移ろいを映している)

 長らく皆様にご参拝いただいてまいりました地主神社もこのたび修復工事に入ることとなり、5月以降に閉門を予定しておりますが、縁結びのご祈願をはじめ新生活の新たな出会いを願うお守りなどの授与については今月の4月もそれ以降も引き続き郵送にてお受け付けしてまいります

 どうぞこの春も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。


令和4年3月 「ひな祭り」「桃の節句」「人形(ひとがた)祓い」「耳の日」

 3月3日の「ひな祭り」は「桃の節句」とも呼ばれ、桃の花を飾ります。
 その花の美しさは古くから人々の心をとらえ、『万葉集』にも詠われました。

  春の苑(その) 紅(くれなゐ)にほふ 桃の花 下照る道に 出(い)でたつ少女(をとめ)(万葉集)
  (春の園で紅色に咲く桃の花が下まで輝く道に立つ、美しい少女よ)

 満開を迎えた後たわわに実る桃の実は、昔から邪気を祓う神聖な植物とされました。
 『古事記』には桃の実を投げて難を逃れる場面も描かれています。

  桃子(もものみ)を三箇(みつ)取りて待ち撃ちしかば、悉(ことごと)く坂を返りき(古事記)
  (桃の実を三つ取って投げつけると[追っ手は]坂を逃げ帰っていった)

 もともと3月3日は紙で作った人形に穢れ(けがれ)を移し、水に流してお祓いをする日でした。
 『源氏物語』の光源氏も人形を船に乗せて海へ流し、お祓いをしています。

  舟に、ことごとしき人形(ひとがた)のせて流す(源氏物語)
  (船に大げさな人形を乗せて海に流す)

 3月3日は「三三(みみ)」の語呂合わせから「耳の日」でもあります。
 耳は昔から神さまのお声を受けとるものとして尊ばれました。
 『万葉集』では、大切な人の耳に届けたい思いを言葉に表しきれないもどかしさも詠まれています。

  言(こと)に言へば 耳にたやすし 少なくも 心の中(うち)に 我が思(おも)はなくに(万葉集)
  (言葉にすると簡単に聞こえてしまう、心の中ではもっとたくさんのことを思っているのに)

 卒業の季節でもある3月は、大切な人やお世話になった方に語り尽くせぬ思いを抱くかたもおられることでしょう。
 地主神社では、3月も縁結びのご祈願をはじめ、新年度に向けて新たな出会いを願うお守りなどの授与を郵送にてお受け付けしてまいります。
 新年度も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。

令和4年2月 「節分」「如月」「立春」「バレンタインデー」「飴」

 早いもので今年も2月となりました。

 2月3日は節分。節分はもともと「季節の分かれ目」という意味で、立春の前日に一年の無病息災を願う日でした。
 昔は大きな声をあげて鬼を追い払ったことから、『源氏物語』では幼い子どもが大きな音の出し方を大人に聞いて回る姿も描かれています。

  若宮の「儺(な)やらはんに、音高かるべきこと、何わざをせさせん」と、走り歩きたまふ(源氏物語)
  (幼い皇子が「鬼を追い払うときはどうしたら大きな音が出せるの」と言って走り回っておられる)

 追われた鬼が逃げだすように「二月は逃げる」といいますが、室町時代には2月のあわただしさを詠み合った連歌もあります。

  年々(としどし)の春こそやがて昔なれ(文和千句第一百韻)
  (年ごとに春はすぐ遠い昔になるものだ)

  夜中(よなか)よなかの夢のきさらぎ(文和千句第一百韻)
  (夜ごとに夢を重ねながら、まだ寒い二月に衣を重ねて着るように)

 節分の翌日は立春、暦の上ではもう春です。2月14日のバレンタインデーは草木が芽吹き鳥が歌い始める春を祝うことから始まったといわれます。
 バレンタインのチョコレートを手作りするかたもおられることでしょう。『日本書紀』には飴を手作りして神意を占う場面も描かれています。

  われ今し八十平瓮(やそひらか)をもちて水無しに飴(たがね)を造らむ。
(私は今80枚の器を用いて水無しで飴を作ろう)

  平安時代には片思いの胸の内をお菓子になぞらえた歌も詠まれました。

  香泡(かくなわ)に 思ひ乱れて 降る雪の 消なば消ぬべく(古今和歌集)
  (心は「かくなわ」というお菓子のように乱れて、降る雪のように消えてしまいたい)

 「かくなわ」は紐を結んだような形にして油で揚げたお菓子といわれています。
 
 地主神社では、2月も縁結びのご祈願をはじめ、両思いを願うお守りなどの授与を郵送にてお受け付けしてまいります。ご祈願やお守りをご希望される方は、ぜひお申し込みくださいませ。
 この春も皆様に素晴らしいご縁が訪れ、お健やかにお過ごしくださいますように。おしあわせに。

令和4年1月 「元旦」「初日の出」「若水」「七草」「干支絵馬」

 あけましておめでとうございます。

 元旦は初日の出に手を合わせるという方もおられることでしょう。太陽の神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)といって、地主神社にお祀りしている大国主命(おおくにぬしのみこと)さまのお父上であられる素戔嗚尊(すさのおのみこと)の姉上にあたります。

  光華(ひかり)迷彩(うるは)しく、六合(くに)の内に照り徹(とお)る。(日本書紀)
  ([天照大神は]光り輝いて美しく、天地四方をすみずみまで照らした)

 太陽を見つめるとくしゃみが出ることがあるのは「光くしゃみ反射」という生理現象だそうですが、平安時代には元旦のくしゃみは縁起が良いとされていたようで、清少納言も『枕草子』で紹介しています。

  したり顔なるもの 正月一日(ついたち)にさいそに鼻(はな)ひたる人(枕草子)
  (得意顔なもの 正月一日に、最初にくしゃみをした人)

 元旦に初めて汲む水は「若水(わかみず)」といい邪気を払うと信じられました。『栄花物語』には、お生まれになったばかりの若宮に若水を沸かしたお湯を使わせる場面も描かれています。

  若水していつしか御湯殿(おゆどの)まゐる(栄花物語)
  (若水でさっそく沐浴をしてさしあげる)

 昔は新年に降る雪や雨も豊年のしるしとされ、おめでたいものでした。

  新(あらた)しき年の始めの初春(はつはる)の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと)(万葉集)
  (この新春に次々と舞い降りる雪のように、ますます良いことが重なっておくれ)

 そして、1月7日は七草の日。今では七草粥をいただきますが、昔は芽吹いたばかりのみずみずしい若菜を摘んで贈る日でした。『源氏物語』では、孫から若菜を贈られた光源氏が長寿を願う和歌を詠んでいます。

  小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき(源氏物語)
  (小松原のように若い孫の齢(よわい)のように、私も長生きできるでしょう)

 地主神社では、本年も皆様の縁結び・開運招福のご祈願をはじめ、お守りや新年の干支である「とら」の絵馬の授与を郵送にて承っております。ご希望の方は、ぜひお申し込みくださいませ。
 本年も皆様に素晴らしいご縁が結ばれ、お健やかに一年をおすごしいただけますように。おしあわせに。
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