由来と歴史
古文書によると、「恋占いの石」に興じる老若男女で境内が一日中にぎわったと、当時の繁栄の様子が記されています。また、地主神社祈り杉での「丑の刻参り」が大流行したのもこの頃です。1633年徳川家光公より御社殿が再建されました。
3月、豊臣秀吉が地主神社にて花見の宴を催す。
出雲の阿国、歌舞伎を奉納。
徳川家光公により御社殿再建。
北村季吟・室井其角、地主の桜の俳句を奉納。
後桃園天皇崩御につき、地主祭りが5月8日となる。
光格天皇が鶴亀松竹梅模様の酒器(瓶子:へいし)を御奉納。
清水寺成就院蔵海が本殿屋根を修復。
古文書によると、地主神社乙羽竜神の加護により、さる商人が無事に唐土より帰国できた。厄除子孫繁栄の守り神としてますます信仰を集めたとある。
有栖川宮幟仁親王(神道教導職総裁)地主神社へ「地主権現」御神号御筆奉納。
赤まえだれの茶屋の娘が、舞や野点などを奉納した。奉祝遷都1100年奉納絵馬から推察。
芭蕉の師・北村季吟、蕉門の十哲のひとりである室井其角などが、地主神社を題材としている。
地主からは 木の間の花の 都かな 季吟
京中へ 地主の桜や 飛胡蝶 其角
宗盛も 車にみゆれ 地主祭り 紫暁
景清は 地主祭にも 七兵衛 太祇
押しあふて 車やどりや 地主祭り 瓜流
神仏分離令(神仏判然令)により、清水寺より分離独立。名称も地主権現社から地主神社へと改められました。
有栖川宮熾仁親王筆「地主権現」御神号を御寄付。政府より「明神号」下付。
清水寺成就院より地主神社に対し覚書。神仏分離令により毎年米弐石助成。
地主の桜、禁裏御所への献上を一時中止。
神幸祭を4月7日から5月8日に改める。
12月12日昇格報告祭。社詞・中川義郎。
6月4日、内務大臣・板垣退助へ由緒下付金を申請。
縁結びの神としてご神徳が全国に広がり、新聞・テレビ・雑誌にたびたび取り上げられました。1975年(昭和50年)に、昭和の大修理。御本殿の極彩色が見事に甦りました。本殿、拝殿、総門と境内地が国の重要文化財に指定され、1994年(平成6年)には世界文化遺産に登録されました。
12月13日、国運隆盛を祈願し狂言奉納。茂山千五郎。
9月、中川平宮司が就任。中川弌郎名誉宮司。地主祭り5月8日を5月5日に改める。3月、地主桜植樹祭、献木・佐野藤右衛門、考証・井上静蔵。
文部省に対し、重要文化財に関する調査請願。文部大臣・灘尾弘吉、文化庁調査代表・関野克、文化庁建造物課・伊藤延男。
6月、地主神社本殿、拝殿、総門が国の重要文化財に指定される。
岩井博美、芭蕉堂社中により、清水連歌200年ぶりに復活。
11月12日、拝殿天井の青竜(狩野之信筆)、入魂式(点眼式)。12月26日、遷宮祭。
「地主桜」は第104回都をどりの演目となり華やかなフィナーレを飾る。
地主神社修復記念大祭。
12月古都税紛争により、清水2丁目に臨時御座所を設ける。翌年正月には例年通りの初詣参拝者で賑わった。
清水2丁目臨時御座所に、礼宮殿下参拝。
天皇陛下病気平癒祈願祭。地主神社芸能社建立。
即位大礼・大嘗祭奉祝祈願祭。地主神社神楽「良縁の舞」「奉祝の舞」完成奉納。
11月23日、平安建都千二百年祭祭典執行、平安建都千二百年奉祝絵馬授与。
12月、世界文化遺産登録。地主神社本殿・拝殿・総門、及び境内地。