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アーカイブ2004年7月

右と左の話~騎馬民族と道教文化

date2004年7月15日

神道の作法では、神様に近い方を上位、正中(神様がまつられる
御扉の中心をまっすぐ前にのばしたライン、大変貴いラインとされる)
を上位、そして神様に向かって右を上位としています。
また、神道に限りませんが、白衣は左襟を上にきます。
これは、左を上位と見なしているからともいわれます。左右
のどちらを上位とするかは、日本が他の地域から受け入れた
文化、宗教などが大きな影響を与えているとされています。
 
ここで少し気をつけなければならないのは、何を基準にするか
で左右が逆になるということです。
神様に向かって左という事は、神様からは、右ということに
なります。
因みに、地図で京都市を見ると右京区が左、左京区が右に
見えます。これは、御所が基準にされているためです。
 
現在では、日常の中でも右を上位とする作法・文化と
左を上位とする作法・文化があります。
これは、大陸の異なる地域の影響をそれぞれの時代に受けて
きたからなのです。
 
高松塚古墳の有名な美人画は右襟を上に描かれています。
7世紀頃までは、右を上位とする文化があったのでしょう。
右を上とするのは大陸北部の騎馬民族の文化の影響であり、
左を上とするのは中国南部の道教の文化の影響ともいわれて
います。
 
日本人の習慣や、神道の中の左右にも様々な地域の文化の影響
を受けた証があるのです。

神様のご分類(その2)~和魂 荒霊

date2004年7月15日

神様をそのご性格で分類すると、和魂(にぎみたま;和御霊とも
書く)と荒魂(あらみたま;荒御霊)になります。
和魂は、神様のおやさしい、温和な霊力を指し、荒魂は、勇猛さの
反面、粗野で、時には人に祟りを及ぼすような霊力であり、神の
「怒り」を示しているともいわれます。
和魂は、さらに人に幸福をもたらす幸魂(さきみたま)と人に霊力
など不思議な力を与える奇魂(くしみたま)に分類されます。
 
┌─和魂(にぎみたま)───┬──幸魂(さきみたま)
│                 │
│                 └──奇魂(くしみたま)
└─荒魂(あらみたま)
 
和魂と荒魂は、元来一つの神の2つの側面を表したものです。
後に荒魂の霊力のみをもつ神がまつられるようにもなりました。
元々神道は太陽などの自然を神と仰ぎ、自然現象などにその霊力を
感じ取ってきました。自然は日々の恵みをもたらしてくれると共に、
時に、風水害、落雷、地震、など大規模な災害をもたらします。
そのような自然の姿が、古代の人々の神への信仰に大きな影響を
与えたのではないでしょうか。
人々に不利益を与える面も、荒魂としてお祀りしたのは、厳しい
自然現象からも、神のパワー感じたからでしょう。
 
和魂と荒魂の祭祀は、神や自然への感謝と恐れの気持ちと共に、
それらへの、深い洞察を示しているのです。

神さまのご分類~天津神 国津神

date2004年7月15日

多神教である神道の神様は、あらゆるものに宿り、無数におられ、
これを八百万(やおよろず)の神ということは、前にお話しました。
 
その多くの神様をそれぞれの特徴によって、様々にご分類する事が
できるのです。
 
もっとも代表的なものとして、天の神様系と、地の神様系という
2つの系統に分けることができます。
天の神様とは高天原(たかまのはら)という天におられる神の系統
であり、地の神様とは、元々その土地におられ守護していた土着の
神様、あるいは、天の神様の子孫で地にお住みになった神様をいい
ます。
天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)ともいい、この2つ
のすべての神々を総称して天神地祇(てんじんちぎ)といいます。
地主神社の主祭神、大国主命(おおくにぬしのみことさま)は、
国津神の代表的な神様です。
 
神様はすべて頭の上の方の天におられるようにイメージされている方
も多いと思います。
しかし、古事記、日本書紀によって天と地の神の2つに系統立てら
れていることは、歴史学や、民族学、人類学などの立場から様々な
解釈がなされています。

大国さまと大黒さま

date2004年7月15日

大国さまと大黒さま。
どちらも違いを意識することなく、「だいこくさま」と親しみをこめて
お呼びなっているのではないでしょうか?
しかし、大国さまと大黒さまは、元は全く別の神様なのです。
 
大国さまは、日本の神話に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)
で、つまり日本の神さまです。
地主神社の主祭神でもあり、縁結びの神、土地守護の神として篤い信仰を
集めています。
 
一方の大黒さまは、マハーカーラという荒々しいインドの神で
日本に伝わると密教の守護神となりお寺の台所や食堂の神として
祭られていました。
 
七福神の「だいこくさま」は大黒さまの方になります。
ちなみに七福神のうち日本起源の神様は、恵比須さまだけです。
 
寺院で祭られる「だいこくさま」は外来の神、大黒天で
神社では大国主命とご理解頂いて良いと思います。
社寺にご参詣の折りに、少し注意して確かめてみてください。

神仏習合(2)~多神教の国々

date2004年7月15日

もとは別々の神々が1つになる、つまり習合ということは、
日本に限ったことではありません。
多神教(神を1つとせず様々な神を祀る)の地域ではよくある
ことなのです。
 
最も知られているのはインドでしょう。
インドを発祥とし多神教のヒンズー教は、ブラフマー(宇宙
創造の最高神)、シヴァ神、ヴィシュヌ神など数多くの神々を
奉じています。
ご存じのように仏教もインドの起源ですが、その後インドの
ほとんどの地域で他の宗教に取って代わられ、みられなくなっ
てしまいます。
しかし、仏陀(釈迦)はヴィシュヌ神の9番目の化身とされ、
つまりヒンズー教と習合していまでも信仰されています。
ヒンズー教徒が仏教遺跡の仏像に手を合わせる姿は日常的に
見られようです。
逆にブラフマーは「梵天」として仏教の中にとりこまれています。
また帝釈天はヴァラモン教の武雄神インドラ、七福神の
弁財天はヒンズーのサラスヴァティー、吉祥天はラクシュミーと、
もとは、ヒンズーの神であったのが仏教に取り込まれ日本でも
信仰されているのです。

注連縄(しめなわ)~自然崇拝

date2004年7月15日

神社というと、わらなどでつくられた縄に白い紙でできた
紙しでを垂らされている注連縄も一つの特徴でしょう。
神仏習合の影響もあり、お寺でも見られますが、もとは
神道のものです。
聖なる場所をはっきり示すために張られるもので、
神話の天の岩戸伝説にもみえます。
 
正月に玄関先に(あるいは車にも)飾られるお家も多い
かと思います。
それらにはミカンやダイダイあるいは地方よっては、
伊勢エビや昆布等をいっしょに飾る風習もありますが
新年の豊作を祈念した風習とされています。
 
縄の部分は「雲」を、節ごとにたらされるわらは、「雨」
紙しでは、「雷」を表すともいわれています。
こうした自然の現象に、人々の営みが、大きく左右され
意識せざるを得なかった太古の、自然崇拝の頃のなごり
なのです。

巫女さんとは?~シャーマニズム~

date2004年7月15日

神社というと、女性の方は、まず「巫女」さんをイメージされることも
多いのではないでしょうか。
白衣に緋の(赤色の)袴という衣装を一度は身につけてみたいという方
も少なくないと思います。
この巫女さんの源流をたどると「卑弥呼」に辿り着くと言われています。
卑弥呼は呪術、占いによってまつりごと、政治を行った古代の日本、
つまり邪馬台国の統治者、権力者でもありました。
今風に言えば、非常に強い霊能力をもった総理大臣というところ
でしょうか。
霊能力者とは、神や霊の声を聞く(神がかる)ことができ、それを
人々に伝えることのできる人とをいいます。
古代のこのような能力をもった人のことを学術的に「シャーマン」といい、
こうした人が司る宗教を「シャーマニズム」といいます。
現在でも、恐山の「イタコ」や沖縄の「ノロ」や「ユタ」と呼ばれる
人も、このシャーマンにあたります。
神社に奉職する人を神職といい現在ではほとんどが男性で、神道に
おいては、過去にはむしろ男尊女卑の風潮もありました。
(現在ではそのようなことは少なくなってきています。)
しかし、神職の源流も「神がかり」した人々であり、卑弥呼の様な
女性であったのです。
「シャーマニズム」も神道を理解するための重要な用語といえます。
 
(補注、卑弥呼の実像に付いては、諸説があります。
 邪馬台国論争とも絡み、議論されています。
 機会があれば、取り上げたいと思います。)

柏手(かしわで)~ご霊力を呼ぶ呪術

date2004年7月15日

神社で神様に参拝する時、手をたたきます。
このことを、柏手を打つといいます。
お寺に参拝した時の作法と最も象徴的に違う作法ではないでしょうか。
この柏手も神道が、古代の信仰を継承している証となるものです。
手をたたくその波動で神様のご霊力を呼び覚まし、ご利益をいただこ
うとするです。これは古代の宗教的な指導者、統治者、いわゆるシャー
マンが行った呪術に通じるものだといわれています。
 
ご祈願やお祭りの前に太鼓がたたかれますが、これも同じ意味をもって
います。さらに芝居の幕を開く時にたたかれる拍子木も、この神様を
お迎えする作法が起源と言われています。
 
ご参拝される皆様のお願い事や、感謝の気持ちが通じますように、神社
の神様の前では、できるだけ元気よく、大きく手をたたいてください。
また正式な作法では二礼二拍手一拝となっていますが、たくさん手を
たたいた方が神様のお耳に届きやすいかもしれません。

神仏習合(1)~神道と仏教

date2004年7月15日

「なぜ、お寺の中に神社があるのですか?」
地主神社でよくお受けする質問です。
これに対するお答えがこの「神仏習合」という言葉になります。
「習合」とは、たくさんの事を一つにまとめることをいいます。
ですから神仏習合とは、神と仏が一つになったという意味に
なります。
ここでの「神」は日本古来からの土着の神、神道の神社などで
お祀りされている神々をいい、仏は6世紀大陸から伝わった
仏教寺院の神ということになります。
日本人の中にはお寺と神社の違いに気づく事なく、ご参拝され
ている方もあり、神仏習合と聞いてもあまり特別な意味をお感
じにならないことが多いようです。
しかしキリスト教やイスラム教などの一神教の地域では、2つ
の神が習合するなどということは考えられません。
神仏習合は、多神教という日本人の宗教感覚を理解する上でも、
大変重要です。そして、日本の宗教や宗教史上大変重要なキー
ワードでもあるのです。

初詣~先祖崇拝の儀式

date2004年7月15日

ついこの間、クリスマスで盛り上がった人も、お正月には
神社仏閣に初詣をされます。
クリスマスはキリスト教の行事ですし、神社は神道で、
寺院は仏教です。
これは、一つの神しか認めない一神教のキリスト教や
イスラム教の立場からは非常に、理解し難いことなのです。
しかし、日本人は、どの宗教の神も神として崇めることに
全く抵抗をなくしています。
日本人はたくさんの神を信仰する多神教の感覚を生まれ
ながらに持っているようです。
多神教である神道を無意識にやっている、あるいは、神道が
習慣化していると言っていいでしょう。
そんな多神教の風土の中に、キリスト教も多くの神々の一つ
として取り込んでしまったのです。
 
クリスマスにパーティを開いたり、正月には神社に詣でたり、
宗教に対して無節操で無感覚の様です。が、実は、日本人が
無意識に持っている、非常に根強い神道的な宗教心がそう
させているのです。
こういう宗教観からは、宗教戦争は起こりません。
ですから、どの神も崇めたり、どの宗教の行事も祝ってしまう
のは、無節操と言うより、おおらかな宗教観と言った方がよい
と思います。
 
正月はもともと、先祖崇拝の行事でもありました。
このことからも、日本人の宗教観が、うかがえるのですが、
また別の機会とさせていただきます。
 
 
  京都地主神社 お正月・初詣特集ページ
 
 
 
 

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