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平成16年7月「赤い糸メッセージ」更新

date2004年7月21日
CategoryHP更新

地主神社 ご利益ページ「恋愛の神様」内の平成16年7月「赤い糸メッセージ」を更新しました。
 
ご参拝の皆様から毎日寄せられる、神様への感謝のメッセージを掲載しています。
                                                                 
                                                                
 

原初の神々(その2) 信仰の源

date2004年7月20日

古代の世界各地に蛇への信仰があったといわれます。
この信仰が世界に共通してあったことも不思議ですが、
なぜ蛇を神と崇めたのでしょうか? 
 
日本の神道の儀式においては、祓い、禊(みそ)ぎなど心身の
清浄が強調されます。一説には、ミソギとは、蛇の脱皮を
表す「身削ぎ(ミソギ)」が語源ではないかといわれます。
蛇は年に何度も脱皮をし、成長し、命をつなぎます。
それも目の表面まで脱皮するという徹底的なものだそうです。
この様子を観察した古代人は、脱皮の度に蛇が生まれかわり
新しい生命力と永遠の命を宿すと考え、このことに畏敬の念を
持ったのではないかと思われます。
この生まれかわりと、永遠の生命への希求こそが世界の人々の
信仰の根源にあるのではないでしょうか。
 
神社での初宮参りのように、世界中のイニシエーション、
通過儀礼が信仰に基づいて行われます。
このことも、生まれかわり、永遠の生命の希求にかかわる
ことなのですが、詳しくは回をあらためたいと思います。

原初の神々(その1) 世界中にあった蛇信仰

date2004年7月20日

世界の神話や伝説、神への信仰に不思議な共通点がみられる
ことが、少なくありません。そうした信仰一つに、蛇への信仰
があります。古代エジプトで蛇が権威の象徴であったり、
マヤ文明など、非常に古い時代、世界の各地で蛇への信仰が
あったといわれています。
 
古代日本の各地でも蛇への強い信仰がありました。
沖縄、奄美や宮古島などにも蛇に関する伝承が数多く残されています。
これらの伝承と、奈良県三輪の蛇信仰に共通点がみられたり、
三輪と諏訪の蛇信仰にも関連があるとされます。
 
現在でも、蛇信仰の名残が神道の儀式には残されています。
たとえば、しめ縄の形は蛇の交尾を象ったものではないかとする説が
あります。蛇をカカシということがありますが、田んぼのカカシも元は蛇信仰
に由来する山の神であるともいわれます。
 
蛇に対し、おそらく良いイメージをお持ちの方は、少ないと思います。
しかし一方で、蛇をヌシとして殺生を慎んだり、蛇が脱皮した皮を
金運のお守りとして、財布に忍ばせる方もおられるでしょう。
世界各地に広がる蛇への信仰、また蛇に対する嫌悪と畏敬
こうした信仰のありように、私たちの原初の宗教観、あるいは
信仰のあるなしにかかわらず、すべての人の深層にある神への
観念を見て取れるのではないかと思います。
このお話をもう少し続けたいと思います。

節分の豆(2)~世界共通の厄除け儀式

date2004年7月20日

節分をまく儀式は、中国から伝わったのですが、
古代の日本にも同じような神事はありました。
地鎮祭などで、塩と共に米をまいてお祓いをするのは
その名残ともいわれます。
 
このような豆まきの儀式は、さらに古代のギリシャ、ローマでも
行われていたといいます。
こちらの豆はソラ豆だそうですが、アメリカインディアンなど
世界の各地にも同様の儀式がありました。
そして、各地の儀式に共通の豆に対する考えがあります。
以前も書きましたが、豆そのものが鬼、つまり災いのもと
とされると同時に、豆にはこの災いを福に転じる神聖な霊力を
持つとされているのです。
 
なぜ、世界の異なる地域にこのような同様の儀式や
考え方があったのか、あるいは伝搬したのか
非常に興味深いところです。
あるいは、人類共通の宗教観が、脳のどこかに
セットされているのかもしれません。
 
古代ギリシャにおいて、豆の持つ霊力やあいまいさを
非常に嫌悪した一派がありました。
西欧哲学の原点は、この一派にあるとさえいわれて
います。
 
こうしてみると節分の豆まきは、実に世界の文化と連なる
儀式なのです。

鏡餅(かがみもち)~神霊がやどる依代(よりしろ)

date2004年7月20日

鏡餅は、お正月の縁起物として各家庭にも飾られます。
鏡餅に添えられる橙(だいだい)と昆布は子孫繁栄、
裏白(うらじろ)と串柿は長寿の祈りを込めたものといわれます。
2段重ねにするのは、福が重なるようににとの願いを
込めたものとも、奇数をさけたともいわれます。
 
鏡餅は、今では神へのお供え物ととらえられています。
しかし、本来は鏡餅そのものが、神様が降りられる依代
(よりしろ)
、ご神体でした。
現在でも正月にご神体として鏡餅を神殿にお祀りし
祈りを捧げる風習を残す地方があります。
鏡餅にお降りになる神は、年の初めにお祀りする
歳神(としがみ)であり、先祖神、あるいは
穀霊(穀物の神)とされます。
年初、この神に、幸福や豊作を祈願したのでした。
 
鏡餅のカガミは、三種の神器の神鏡を意味し、鏡餅が
丸いのはそのためといわれています。
また一説には、蛇目(カガメ)、つまり蛇を意味しているのでは
ないかといわれます。やや唐突な説のようですが、
古代においては、蛇への強い信仰が日本のみならず
世界にありました。こうした信仰の痕跡が、実は神道の儀式の
いたるところに残されており、鏡餅もその一つという説です。
鏡餅が二段重ねにされるのは、蛇がトグロを巻いた様を模したもの
ではないかとされます。
 
いずれにしても鏡餅は、古代から、日本人の原初的な
信仰心によって伝えられてきた風習なのです

神様の方向~北と東

date2004年7月20日

北の座は、神道では一番位の高い方位とされます。
地主神社ご本殿も北の座のもっとも貴い位置に祀られています。
参照ページ
なぜ北が宗教的に貴いとされるのか?
それは中国から伝わった北極星への信仰が起源といわれます。
 
夜空の星は東から西へと回っているのですが、
北極星だけは、まるで宇宙の中心であるかのように
動きません。このことから、古代の中国の人々は
北極星を全宇宙、すべての存在の根本、根源であるとして
信仰したのでした。
このような星の運行に基づいて未来を予測したり
占ったりすることは、当時は宗教というより
むしろ最先端の科学でした。このような中国の
進んだ思想を日本の政治や祭祀に取り入れ、
完成させたのが、天武天皇ともいわれます。
一方で、日本古来からの祭祀のあり方も残されました。
北に対し東を神の方位とするのが、日本古来の
信仰とされます。
お札は北側か、西側に祀るとされます。
東西は逆になっていますが、このような
作法にも中国からの思想と日本古来の
信仰が融合しているようです。
 
地主神社境内の「恋占いの石」は本殿前に
東西に向かい合ってあります。
参照ページ) 
この石への信仰は、日本古来のものです。
地主神社においても、当時最先端であった中国の思想と
日本古来の信仰が、交差し融合した痕跡があるのです。

産土神(ウブスナガミ)~氏神様とはちがう?

date2004年7月20日

産土神は、氏神(うじがみ)と今では混同されていますが、
本来は、別の意味があります。
 
かつてお産のために、わざわざ産小屋が作られました。
内部には砂をまき、その上に藁(ワラ)がひかれました。
ウブスナのスナとは、この砂を指すのではないかと
いわれます。
 
なぜ砂がまかれたかは、はっきりしません。
産小屋を海岸に造る地方もありました。
日本の古代の信仰では、海の彼方に、
神の国あるいは、黄泉の国があるとされていたため
命をそこから迎えるために、海の近くに造ったとも
考えられます。産小屋の砂は、そのような
海岸の砂の名残ではないかとも思われます。
 
産小屋の砂は、次第に土へと変化し、土地
そのものを表すようになります。
産土神は、その土地や地域の神、すなわち
地縁の神を意味するのです。
 
これに対し、氏神は元々は同族の神、
血縁の神を意味していました。
 
スナが海岸の砂であるとすれば、
人の遠い祖先が海の生物から進化し
そして陸上にあがった、そんな遺伝子
の記憶がこのような風習をつくり出したのかも
しれません。

太陽の神 天照大神(アマテラスオオミカミ)

date2004年7月20日

日本の神話では、太陽は天照大神であり、
その神は、女性です。
日本で女性を表す色は、赤系となっているも
太陽の色が赤く見え、太陽を女性ととらえる事に
由来するといわれます。
 
一方、太陽が男性神とされる国もあります。
中国北方の騎馬民族なども、そのような例で
この場合、赤は男性の色とされます。
赤が女性の色とされることは、世界でも
あまりないのです。
 
天照大神は、原初、太陽神に仕える巫女であったいう説も
あります。
武の神とされる八幡神は、中国の王の
娘が、日の光に感受して身ごもり、生まれた
とされています。類似の神話が日本の各地にあります。
ここに登場するような娘が、太陽神の妻であり、それはつまり
太陽神に仕える巫女であり、天照大神の根源とみられるのです。
神話が、政治的な意図で編纂される中、天照大神が太陽神と
されるようになったのではないかといわれます。
 
赤を女性の色とするのは、日本の文化に特徴的に
見られるものです。幼い女の子が、赤系の色を好むのも
歴史的宗教的背景があるのです。

荒ぶる神~鬼

date2004年7月20日

日本の神話に登場する神々は、
決して心の優しい神ばかりではありません。
人々に災いを与えたり、祟ったりする神も
おられます。「」もそういう神として、恐れられています。
 
しかしながら、伝説に語られる鬼の源流をたどると、
鬼とされているのは、だいたい、その土地の土着の人々、
先住の人々なのです。
 
鬼伝説は、そういう土地の人々が、中央の政権によって
征服される物語といえます。一昔前のアメリカ映画では
先住民族であるネイティブアメリカン(インディアン)が
悪であり、征服する白人の側が、善として描かれることがありました。
鬼伝説もまさに、そのような征服する側からの物語であり、視点を
かえれば、征服された人々の悲劇の物語ともいえます。
 
また、一説には鬼の原型は鉱山で働いていたタタラ師
ではないかともいわれます。過酷な環境での労働で
体はたくましく、また高温の熱で、顔は非常に険しかった
ところからでしょう。
 
京都府北部丹波地方の大江山の鬼伝説が特に有名なのは
この地に古くから銅山があったことが、一つの理由かもしれません。
3つの鬼伝説が残されていますが、やはり酒呑童子がもっとも有名でしょう。
同じく丹波の古刹、兵庫県市島町の清薗寺に伝わる縁起絵巻に鬼伝説が
描かれています。こちらのお寺のホームページでは、この鬼伝説の
アニメ版を見ることができます。見応えがあるページですので
是非一度ご覧になってください。
https://www2.odn.ne.jp/~cdw41280/seionji/kamishibai.html

神様がお越しになる杜(もり)~神社の原型

date2004年7月20日

神社はうっそうとした森の中にある、というイメージが
あるかと思います。
古代から、巨木に神がお降りになると、
考えられていました。
神様へ儀式は、そうした巨木数本に囲まれた
空間で行われました。
深い森の中でもなかったのです。
神社のもりというとき、という漢字を使うのは、
そのためです。
 
神道は、山、巨石、巨木など、自然を神と
仰ぐため、もともと、社殿などの建物は
必要なく、実際ありませんでした。
お祭りなどは、杜の中で、前回お話した
神籬をたて、臨時の小屋のようなものを
建てて行われました。
そして、祭りが終わると建物は、すべて
壊され、取り払われました。
この建物が、そのまま残されるように
なったのが、神社の社殿の原型と
されています。
 
8月のお盆になるとご先祖の霊が家に戻られる・・・
というような信仰は、仏教にはありませんでした。
先祖崇拝と仏教は、もともと関係なかったのです。
古代において、遠いご先祖は、村や家を守る神として崇められ
正月や夏の祭りの時、上述のようにお越しいただいたのでした。
神道は、現在でも日本人の宗教観や死生観に、根強く影響を
与えているのです。

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