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アーカイブ2004年7月

神様がお越しになる杜(もり)~神社の原型

date2004年7月20日

神社はうっそうとした森の中にある、というイメージが
あるかと思います。
古代から、巨木に神がお降りになると、
考えられていました。
神様へ儀式は、そうした巨木数本に囲まれた
空間で行われました。
深い森の中でもなかったのです。
神社のもりというとき、という漢字を使うのは、
そのためです。
 
神道は、山、巨石、巨木など、自然を神と
仰ぐため、もともと、社殿などの建物は
必要なく、実際ありませんでした。
お祭りなどは、杜の中で、前回お話した
神籬をたて、臨時の小屋のようなものを
建てて行われました。
そして、祭りが終わると建物は、すべて
壊され、取り払われました。
この建物が、そのまま残されるように
なったのが、神社の社殿の原型と
されています。
 
8月のお盆になるとご先祖の霊が家に戻られる・・・
というような信仰は、仏教にはありませんでした。
先祖崇拝と仏教は、もともと関係なかったのです。
古代において、遠いご先祖は、村や家を守る神として崇められ
正月や夏の祭りの時、上述のようにお越しいただいたのでした。
神道は、現在でも日本人の宗教観や死生観に、根強く影響を
与えているのです。

神様がお降りになる神籬(ひもろぎ)

date2004年7月20日

神様が天からお降りいただくために
祭壇におまつりする木を神籬(ひもろぎ)といいます。
地鎮祭などで祭壇の中央に
祭られているあの木のことです。
 
古来から巨木などに神がお降りになる
と考えられていました。
やはり天に近いというイメージからでしょうか。
 
各地のお祭りで、よくある山車(だし)や
祇園祭の鉾や山の原型は、
ひもろぎであるといわれます。
ありがたい神様にお降りいただくため
ひもろぎをどんどん高く、そして豪華にしたのです。
結果、原型を全く想像もできない形になりました。
 
やや形式的になっている
神社の祭りですが、その儀式は
やはり古くから伝わる、人々の信仰心
の発露であるのです。

お祓いと禊ぎ~神道の一番大切な儀式

date2004年7月20日

禊ぎ(みそぎ)」というと、今や政治の用語のようですが、
もちろん、神道の用語です。
 
「禊ぎ」は、川や海などで体を洗い清め、神様に近づくために、
清浄な体になることをいいます。
これによく似た言葉に「祓い」があります。
お祓い」は自分自身の心の不浄を清め、災害や悪疫が身に降り
かからないようにと神様に祈願する神事をいいます。
このように本来、この2つの言葉は違った意味なのですが、
両方の意味を含めて「祓い」ということが多いようです。
 
「罪穢れ(つみけがれ)を祓う」は、神道では、決まり文句の様な
言葉ですので、お聞きになったことがあるかもしれません。
この罪は、「自分自身が犯す罪」が本来の意味ですが、
仏教の薬師信仰などとも習合し(結びつき)、風水害や、病なども
含んで解釈されるようになりました。
 
民衆の間で行われていた、この祓いの神事が、国家の行事としても
行われるようにもなりました。
6月に行われる祓いの行事を「夏越(なご)しの祓い」として
宮中から、一般の神社でも行われるようになったのです。
 
「祓い」や「禊ぎ」は、日本の美しい自然や清流と、
それによって培われた、日本人の持つ清浄観を根源とした神事とも
いえるのではないでしょうか。

端午の節句~節目のお祓い式

date2004年7月20日

端午の節句もまた、ひな祭りなど古くからの風習と同様の歴史を持つ
行事です。
 
約1千年前の平安時代、日本に伝わり、宮中において災難除けの重要な
お祓いの儀式として季節の節目に行われたものです。
菖蒲が使われるのは、中国でこの日に薬草を食したり、玄関に飾るなど
して厄除け、健康を願う祭りがあり、この影響を受けています。
さらに粽(ちまき)も端午の節句の元とされる中国の故事からのもの
です。
 
鎌倉時代「菖蒲」が「勝負」にかけられ、武士の行事となり、宮中での
行事は衰えました。
江戸時代武士の間で、長子誕生の祝いの行事としても盛んに行われ、
幕府の行事ともなりました。
兜を飾ったり、鯉のぼりをあげる風習もこの頃のものです。
これらが庶民にも伝わり、現在のように広く行われるようになりました。
 
地主神社の例大祭地主祭りでも氏子の子弟による武者行列がでます。
京都の多くの神社でも、武者行列がでるのは、この風習の影響をうけた
ものでしょう。
 
端午の節句も、中国の影響、神道、宮中行事、武士や庶民の風習など
様々な文化が積み重なって今に伝わっているのです。

花見~桜と神道

date2004年7月20日

4月になるとの花が咲き、各地で花見の行事が行われます。
この桜と日本人の関わりは、非常に深いものがあります。
 
古くは、花といえば桜を指した事もありました。
梅が中国から輸入されたのに対し、桜は日本原産とされます。
 
地主神社の神紋は地主桜で、さくら祭りも催行します。
神道と桜の関わりもまた深いのです。
桜の木が花をつけるのは神がお降りなった験(しるし)と
考えられていました。
 
農耕の盛んな時代には、桜には穀霊が宿るとされていたようです。
また、火であぶった鹿の骨の割れ方で国の吉兆を占った時代には、
骨の代わりにある種の桜の木を使ったという説もあります。
 
古代、田植えはその年の生活を支える非常に重要な作業でした。
その季節に咲く桜に、日本人は神を感じ、豊作への祈りを捧げた
のでしょう。
 
花見の宴を盛んに催す習慣は、日本人だけのものといわれます。
花見が神道儀式の名残の一つと考えれば、そのわけも理解できる
のではないでしょうか。

ひな祭り~お祓いの儀式

date2004年7月20日

3月3日のひな祭りは、元は中国のお祓いの儀式でした。
それが日本の宮中に伝わり、武家や庶民に伝わったものです。
前回の節分と同じ様なルーツを持つ慣習といえます。
 
ひな祭りといえば、まずひな人形をイメージされると思います。
しかし現在の様に豪華な雛人形を飾る風習そのものの起源は、
実ははっきりしていません。
 
一説には、貴族の子供の人形遊びである「ひいなまつり」が
3月3日に決まって行われるようになったのが起源とも言われて
います。
さらに、江戸時代には雛市と呼ばれる催しが盛んに行われたと
いいます。
 
ひな祭りは、節目の日に宮中で行われた、祓いの神事でした。
しかし、時代の流れの中で様々な日本の文化と交わり、その本来の
意味が薄れあるいは失われました。
 
日本人の多くの古い習慣の根底に、忘れ去られた神道の精神が
あります。ひな祭りも、そういう風習の一つといえます。

節分の豆~穀霊の儀式

date2004年7月15日

日本の文化は中国の影響を深く受けています。
節分も元は中国の儀礼であり、8世紀頃日本に伝わり宮中で初めて
行われたとされています。
 
節分には豆まきが付き物です。
元々日本でも米などをまいて厄払いをしていたという説もあり、
豆をまくという風習も受け入れ易かったともいわれます。
現在でも地鎮祭などで神主は、お米をまいて土地を清めています。
 
豆には非常に強い生命力があり、そこから強い霊力が宿るとされて
いました。
その力で鬼を追い払う、つまり厄をはらう、これが豆まきの意味だ
と考えられています。
 
ところが、この風習の起源である中国ではむしろ豆には強い陰の
気が宿っている、つまりは豆そのものが鬼であるとされていたと
いいます。
 
現在でも、まく豆は必ず炒ったものを使います。
この豆を炒る時にすでに鬼退治が行われているのだという説があり
ます。豆を炒ることでその生命力を絶ち、豆に宿る陰の気を消滅さ
せているとみるのです。
 
節分は冬から春への季節の節目の行事です。冬の陰の気を祓い、
春の陽の気に変わる事を祈願して行われます。
豆を炒り、そして投げることにより陰の気を祓い、鬼を祓っている
というのです。
 
豆に対するとらえ方は、元の中国と日本ではかなり変化したよう
です。
しかし、豆や穀物に強い生命力や霊力を感じていたことでは、
共通しているのではないでしょうか。

お正月 お年玉~年頭の祖先崇拝 神霊の儀式

date2004年7月15日

お年玉は、お正月の習慣となっていますが、この言葉も、神道とは
関係の深い言葉です。
お年玉のタマとは、霊魂、タマシイを意味します。ご先祖の霊を、
ミタマ(御霊)などと表現します。霊、魂といった、精神的、抽象
的なものをタマ、丸いものとイメージし、表現しています。
 
自然崇拝では太陽が、信仰の中心的な位置をしめる傾向があります。
確かに私たちは、太陽の恵みなくしては、生きる事はできません。
太陽は円形に見え、そのため尊く神聖な信仰の対象に、タマという
言葉をあてたのでしょう。
 
新年には、新しい活力ある神を迎え、豊作や家族の幸福を祈願する
それが正月の神事なのです。
お年玉は、新年の新しい神そのものをさし、さらに、神へのお供え
物(神饌)を意味するようにもなりました。
お年玉は、そのお供え物をお下がり(撤撰)として賜り、霊力を頂く
ということなのです。
 
神社への初詣と同様に、お年玉も年初の神道儀礼が、日本人の習慣
となっているのです。
 
 
  京都地主神社 お正月・初詣特集ページ
 
 
 
 

神仏習合(3)~権現(ごんげん)

date2004年7月15日

権現様という言葉は、ダイコクサマのようにある神様のお名前として、
記憶の片隅にあるという方もおられるかと思います。
 
地主神社もかつて、地主権現(じしゅごんげん)と呼ばれていたことが
ありました。国語辞書にもこの名が記されています。
この権現は、神仏習合(神と仏が一体となること)と非常に関係が深い
言葉なのです。
 
権は、仮という意味で、現は文字通り現れるという意味、つまり権現の
意味とは「仮に現れる」ということになります。
 
権現は仏教用語であり、仏が、日本で仮の姿として現れた姿が、神道
(神社)の神であるという仏教側からの解釈を示しています。
 
仏教の勢力が強い時代、神道は仏教と習合し、あるいは取り込まれ
ました。権現は、そのことを端的に示した言葉といえます。
 
地主神社の神は、縄文時代という非常に古くからこの地で信仰され、
最古に属する地主神(じぬしじん)ですが、地主権現と呼ばれていた
のも、清水寺という仏教寺院と神仏習合していたからなのです。

家の神様~民衆の神々

date2004年7月15日

八百万(やおよろず)の神とは、簡単にいうと、何にでも神が宿っ
ておられ、数多くの神々がおられるのだという事です。
古事記、日本書紀などには、たくさんの神々が登場し、大国主命や
素戔嗚尊など、有名な神様もご活躍になります。
 
一方で、それぞれの村や家に、代々伝わり、信仰されてきた神々も
おられます。
台所の神様、トイレの神様、井戸の神様などなど、旧家では今でも
家のあちこちに神様が奉られています。
 
食物を煮炊きするために欠かせなかった竈(カマド)には荒神さま
が奉られ、井戸の脇には水神様が奉られていました。
これらの神々は、ただ火の神、水の神というほかに特に固有の名前
をお持ちではありません。
火と水は人々の生活に欠かすことができず、そのためこれらの守り
神は、古くから人々に信仰されてきました。
 
古事記などの神話に登場する神々は、確かに有名でメジャーな神々
なのですが、名は無くても人々に根強く、そして日本人の神への
信仰の根源を示すような神々が家の中には祀られているのです。

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